2025/4/7放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。 今週は聖書のルカ福音書8章から学びましょう。
ゲラサという土地に住む、汚れた霊に憑かれた人が出てきます。この人は裸で墓場に住み、いろんな人が鎖と足枷(あしかせ)で彼をつないでおこうとしましたが、彼は誰からも縛り付けられようとしてもその鎖を打ち砕き、墓場にある荒野に生きていました。
別の福音書では「石で自分のからだを傷つけていた。」(マルコ5:5)とあります。自分の人生に嫌気がさすかのように、自分の体をかきむしり、石で傷つけていたのです。
悪霊に取り憑かれた男という私たちの日常では聞きなれない話ですが、私は彼のこういう気持ちが少し分かるように思います。
私の両親は二人とも地元でそこそこ有名な学校の教師でした。「大嶋先生の息子」と教師の息子というレッテルにイライラし、何かこの衝動をぶつけたくなりました。壁や枕を殴りつけたり、意味も無く夜中に叫び出したくなりました。「親や学校は縛り付けてくるな! 支配してくるな!」 そんな風な気持ちになっていたんです。
このゲラサ人の地に住むこの男性は墓場に住んでいました。墓場は死がすぐ側にある場所です。誰も普通は好き好んで来ません。「今日、待ち合わせ場所は墓場ね」ということなんかは無い訳です。墓場は人が来ません。墓場でいくら叫んだとしても、いくら自分で自分のからだを傷つけたとしても、誰にも気がついてはもらえない。彼は自分を縛り付けてくる鎖を引きちぎって、墓場に向かいました。誰にも知られていない場所で、誰にも聞いて貰えることはない場所で、声にならない声を上げていたのです。
私たちもそうです。責任の重さに耐え切れなくなることがあります。先行きの見えない不安が死へと心を駆り立てていく。誰にも相談することができない。どれだけ体が疲れきっても、どれだけ心をすり減らしても終わることがないように見える仕事の山。カラオケに行く、飲みに行く。しかしその時間が終わったら襲ってくる虚しさや寂しさ。弱音を吐いたら弱みを握られるだけ。だからこそ、ひとり墓場のような場所で夜昼となく声を上げている。
このゲラサの地に住む男性は一見奇妙な男に見えますが、現代を生きる私たちの姿にとてもよく似ているなあと思うのです。
今週はこの人に出会われたイエス・キリストの姿から、私たちもイエス様にお会いしたいと思います。
( PBA制作「世の光」 2025.4.7放送でのお話しより )
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