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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■初めにことばがあった / 福井 誠

2016年12月08日 | Weblog
2016/12/8放送
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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「初めにことばがあった」です。それではヨハネの福音書1章1節から読んでみましょう。
 「 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
  もうすぐイエス様の降誕であるクリスマスになりますね。しばらくイエス様の降誕に関連した箇所を見て参りたいと思います。今日はヨハネの福音書の1章ですが、その冒頭に、「初めに、ことばがあった。」とあります。ここでイエスは「ことば」と表現されていますねえ。ことばは初めにあって、神と共にあった、と言います。つまり「ことば」と表現されたイエスは、神に造られた者ではない。天地創造以前にあって、神と共にあった存在である、と言うわけですね。ですから神とイエスは親しい関係にあった。神が何を考え、どう感じておられるかは、長年いわゆる永遠のつき合いをもっておられるイエスが分かっていることであるし、説き明かしてくださることである、と言うわけです。

 かつてイエスは「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ 14章9節参照)という言い方をしていますが、イエスは完全に神を説き明かすことができるお方だ、というのですね。神様はどういう方なのか、あれこれ考える必要はない。聖書を開いてイエス様のことばに耳を傾けて行けば分ることなのだ、と言うわけです。

 続けてヨハネは言います。「ことばは神であった。」 ギリシャ語で唯一まことの神を表現する場合にはホ・セオスと定冠詞ホを用いますね。しかしここは神を意味する「セオス」ということばだけが用いられていて定冠詞はありません。つまりヨハネの頭の中ではイエスと父なる神は全くの別、別の存在であると考えられているのです。ただ神のご性質においては全く完全に同じである、と言うわけですね。イエスは父なる神とは異なる存在であるが、ご性質においては主なる神と同じである、という訳です。それはこのイエスにこそ目を向けていくならば、神がどんな方であるかがよくよく理解されるということです。

 イエス様の降誕を祝うクリスマスも近づきました。ぜひお近くの教会へ行ってイエス様のメッセージに耳を傾け、あなたを愛し導かれる神様がおられることを知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2016.12.8放送でのお話より )



 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。



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