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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主よ、いつまでですか / 福井 誠

2016年11月03日 | Weblog
2016/11/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主よ、いつまでですか」です。それでは第一サムエル記27章4節から読んでみましょう。
 「 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度とダビデを追おうとはしなかった。

 ダビデはいのちを狙われ、執拗に追い詰められていましたね。しかしこの時ダビデは二人の妻の他に600人の部下と彼らの家族を抱えていました。自分の身を守るだけではない、ともにいる者たちの生活をも守らねばならない責任を感じながら、サウルから逃れるだけの人生では先が無いと考えたのかもしれませんね。ダビデは敵であったペリシテ人の地に逃れる決意をしました。もはや神のどんでん返しを考えるのは難しいという判断だったのでしょうね。この時ダビデは詩篇13篇を書いていますが、その中でダビデはこう語っています。
 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」(1節)

 ダビデは半分神に捨てられた気持ちになって、もはや神ではなく敵の保護を受けようと決意するのです。こうして彼はサウルの追跡を恐れることなく平和な時を過ごしていくようになります。しかしそれはまがいものの平和、偽りで塗り固められた平和に過ぎないものでした。と言うのもダビデは敵の王に嘘をつき、略奪で家族と部下を養わなくてはならなかったのです。もはや誠実な人生とはかけ離れた人生、自分の秘密が漏れることを怖れていつもダビデは略奪の度に皆殺しの横暴を働かざるを得ませんでした。この時のダビデの心は決して穏やかではなかったはずです。しかしそれが神のわざを諦めた結果だったのではないでしょうか。

 しばしば私たちの人生には答えを得たく思いながらも、なかなか得られない。神の愛の見守りすら感じることができないことがあるものですね。その結果私たちは神の御心を抜きに自らの答えを出してしまいやすいものです。しかしその結果は、ますます深い混迷に至ることがあるのですね。極限の中にあっても、なおも主を待つことが信仰の道でもあるのです。

(PBA制作「世の光」2016.11.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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