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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■荒野のぶどう、いちじくの初なりの実/羽鳥頼和

2015年12月12日 | Weblog
2015/12/12放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 先週と今週の土曜日は旧約聖書のホセア書からお話しています。預言者ホセアが活動した時代、人々の信仰も道徳もどん底まで堕落していました。神はそんな彼らを怒(いか)り、罰すると宣言されます。しかし神は初めから怒っておられた訳ではありません。ホセア書9章10節にはこのような神のことばが記されています。
 「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。

 「荒野のぶどうのように見た」というのは荒野で喉が渇いている人が甘いぶどうを見つけて心から喜ぶように、イスラエルが荒野の旅をしていた頃、神は喜びをもって人々を見ていたことを教えています。

 「いちじくの木の初なりのように見ていた」というのは二つの喜びがあります。まず、おいしい無花果の初物を見つけた特別な喜び。もう一つの喜びは、初物を見てこれから無花果がたくさん取れるだろうという期待です。神は人々を特別なものとして喜びと期待をもって見ておられたことを教えています。

 ところが神にこんなに愛されていた人々は、その神を裏切り、他の神々を慕ったのです。神が怒られるのは当然ではないでしょうか。神は罪を見逃すことなく、厳しく罰するお方です。しかし神はただ怒るわけではありませんでした。神は怒るのに遅く、恵み豊かな方です(参照 出エジプト記 34章6節)。人が神のことばを聞き、もし自分の罪を認めて神に救いを求めるなら、神は救いを与えられます。

 イエス・キリストも言われています。
 「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(参照マルコ 1章15節)と。

 どんなにひどい罪を犯しても、その人がその罪を悲しんで後悔し、もう罪を犯したくないと思い、神に救いを求めるなら、神は救いを与えてくださいます。自分の罪を悔い改めることが人に救いをもたらします。

 旧約聖書のイザヤ書55章7節に、悔い改めることのすばらしさが教えるています。
 「悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

 明日は日曜日です。神のもとに帰りましょう。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.12.12放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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