2015/12/15放送
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ書 9章6節
世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。大嶋重徳です。
聖書には婚約者マリヤの妊娠に思い悩み、婚約を破棄しようとするヨセフに夢の中で現れた主の使いの物語が出てきます。主の使いはヨセフに語ります。
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと名付けなさい。」 イエスとはギリシャ語で「神はわが救い」という意味です。主の使いはヨセフに、マリヤのお腹の中にいる子どもに、ここに神の救いがある、と名付けなさいと語ったのです。まさにお腹の中の子どもこそヨセフの抱えている恐れの中心でした。主の使いは、あなたが今恐れているこの出来事の真っ只中に神の救いがあるのだ、「神はわが救い」と名付けることのできる神様の救いがあるのだと語ったのです。
この出来事をさらに聖書はこう語ります。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
「神様が私たちとともにおられる」とは、私たちが順調で信仰的に恵まれて感謝ができる時にだけ神がともにおられるのではありません。むしろ私たちが孤独で一人で悩み、自分と子供たちの将来の不安の真っ只中にこそイエス様が確かにいてくださるのです。だからこそ、どこに神様がおられるのだろうかとしか思えない状況に陥ったとしても、私たちは恐れの中心にいてくださるイエス様に出会うことができるのです。そして不安の只中でも、「イエス様」と口にしながら、今まで見えていなかった、でも確かにすでに私たちともにいてくださるイエス様を見いだしていくことができるのです。
ヨセフはその後、「イエス、朝ご飯だよ」と声をかけ、「イエス、お父さん仕事に行くよ」「イエス、もう寝なさい」と日常のありとあらゆるところで「神はわが救い」と口にすることとなったのです。
ヨセフは日常の至る所に、神の救いはある、と叫び続けました。私たちは今日、どこに「イエス」「神はわが救い」と名付けることのできる一日を過ごせるでしょうか。悲しみ迷い戸惑いの中に、確かにともにいてくださるイエス様を見いだしていけるクリスマスを過ごしていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2015.12.15放送でのお話しより )
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