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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■祈りとは? / 岩井基雄

2015年01月23日 | Weblog
2015/1/23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「祈り」ということについてです。

 祈りは殆どの宗教で行われる行為ですし、何も信じていない無宗教の人の心にさえ祈り心はあり、どこかで自分の願いをかなえて欲しいとは願っていますよね。でも、自分の願いを叶えるための祈りと、聖書が語る祈りには違いがあるようです。聖書にはこう記されています。

 「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」 
          新約聖書 マタイの福音書 6章10節

 これはイエス・キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」と呼ばれる祈りの一節です。それは自分の願いが天の神に届きますようにではなく、逆に神様の御心がこの地にそして私たちに行われますようにという祈りです。もちろん聖書は自分の思いや願いをそのまま神様に祈りなさいとも教えています。しかし何よりも神様の思いや心の方が私たちの思いや願いよりも豊かで私たちにふさわしいものだ、という神様の御心に対する信頼から委ねる祈りは生まれていくのですねえ。神様のご計画の方が自分たちの願いや考えよりも大きく深くまた豊かであると知る時、祈りの答えが自分の思い通りでなくても、道が閉ざされてしまうような時でさえも、私たちは神様に信頼し委ねて待つことができるのです。そして、たとえ自分の願いとは全く違う道が開かれたとしても、神様に信頼して喜んで進んで行くことさえできるのです。祈りが成長し変えられ、成熟していくとき、私たちの人生はより豊かになり、どんな状況の中でも喜び感謝することができるようになっていくのです。神様の御心を求める祈りはクリスチャンの平安の鍵であり、祝福の鍵です。どんな時にも喜び、待ち望み、委ね、感謝する人生をあなたも歩み始めて行きませんか?

 聖書のことば

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
 新約聖書 テサロニケ人への手紙 第一 5章16節から18節

(PBA制作「世の光」2015.1.23放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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