2015/1/12放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリスト弟子でペテロという人がいます。彼はガリラヤ湖で漁師をし、カペナウムという町でいたって平凡な普通の漁師生活をしていました。ある時イエス様がペテロたちが漁をしている湖のほとりに来られました。多くの群集がイエス様の元に迫ってきたので、イエス様はペテロの持ち舟を借りてそれに乗り、湖に少しだけ漕ぎ出して、そこから岸に向かって説教を始められたのです。ペテロはどんな気持ちで自分の舟を貸したでしょうねえ。
実は前の晩、夜通し働きましたが、収獲が全くありませんでした。全く魚が取れないわけですから、これは死活問題ですね。そんなペテロは今、空しく網を洗っていた訳です。するとイエス様が来てちょとそれを貸して欲しいという訳ですね。
人間にとって最もプライドが傷つけられるのは自分の得意としていることがうまくいかなかった時ではないかと思うんです。ペテロはガリラヤ湖の漁に自信をもっていたはずです。しかし今、空しく網を洗い、よりによって商売道具の舟を説教台代わりに使われている訳です。
私たちの人生にもペテロと同じような経験がありませんか? 労すれど労すれど結果が見えて来ないという経験、一所懸命尽くしたのに理解されなかったとかですね、万全の準備をして取り組んだのに失敗してしまったとか、自分ならきっとできると思っていたのに実際には何もできなかったというような、そんなむなしい経験があるのではないかと思います。
私は時々、牧師として小田原にやってきた最初の頃のことを思い出します。何と高慢にも自分はできると思って小原にやってきたんです。開拓伝道という形で始まりました。自分が牧師ならすぐに人は集まるだろうと思っていました。しかし何をやってもうまくいかないんですね。でもこの空しい朝の経験こそが大切なことを学ばせる朝となったことを私は実感したんです。
そしてそれは聖書も教えていることなんですね。イエス様は説教が終わるとペテロに「深みに漕ぎ出して網を下ろして魚を獲りなさい」とお命じになりました。網を洗って片付けが終わってホッとしてるところですから、網を下ろすなんて冗談じゃないと思ったかもしれません。でもペテロはおことば通りに深みに漕ぎ出し網を下ろしたのです。すると大量の魚が獲れたんですねえ。
神様は時々、私たちに謙遜を学ばせるために得意な分野で失敗させたり、高慢な思いを取り除くために空しい朝を用意されることがあるんですね。しかしそれはあなたをだめにするのではなく、あなたがあなたとしてより良く生きていくための大切なレッスンとなることも知ってくださいね。
(PBA制作「世の光」2015.1.12放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリスト弟子でペテロという人がいます。彼はガリラヤ湖で漁師をし、カペナウムという町でいたって平凡な普通の漁師生活をしていました。ある時イエス様がペテロたちが漁をしている湖のほとりに来られました。多くの群集がイエス様の元に迫ってきたので、イエス様はペテロの持ち舟を借りてそれに乗り、湖に少しだけ漕ぎ出して、そこから岸に向かって説教を始められたのです。ペテロはどんな気持ちで自分の舟を貸したでしょうねえ。
実は前の晩、夜通し働きましたが、収獲が全くありませんでした。全く魚が取れないわけですから、これは死活問題ですね。そんなペテロは今、空しく網を洗っていた訳です。するとイエス様が来てちょとそれを貸して欲しいという訳ですね。
人間にとって最もプライドが傷つけられるのは自分の得意としていることがうまくいかなかった時ではないかと思うんです。ペテロはガリラヤ湖の漁に自信をもっていたはずです。しかし今、空しく網を洗い、よりによって商売道具の舟を説教台代わりに使われている訳です。
私たちの人生にもペテロと同じような経験がありませんか? 労すれど労すれど結果が見えて来ないという経験、一所懸命尽くしたのに理解されなかったとかですね、万全の準備をして取り組んだのに失敗してしまったとか、自分ならきっとできると思っていたのに実際には何もできなかったというような、そんなむなしい経験があるのではないかと思います。
私は時々、牧師として小田原にやってきた最初の頃のことを思い出します。何と高慢にも自分はできると思って小原にやってきたんです。開拓伝道という形で始まりました。自分が牧師ならすぐに人は集まるだろうと思っていました。しかし何をやってもうまくいかないんですね。でもこの空しい朝の経験こそが大切なことを学ばせる朝となったことを私は実感したんです。
そしてそれは聖書も教えていることなんですね。イエス様は説教が終わるとペテロに「深みに漕ぎ出して網を下ろして魚を獲りなさい」とお命じになりました。網を洗って片付けが終わってホッとしてるところですから、網を下ろすなんて冗談じゃないと思ったかもしれません。でもペテロはおことば通りに深みに漕ぎ出し網を下ろしたのです。すると大量の魚が獲れたんですねえ。
神様は時々、私たちに謙遜を学ばせるために得意な分野で失敗させたり、高慢な思いを取り除くために空しい朝を用意されることがあるんですね。しかしそれはあなたをだめにするのではなく、あなたがあなたとしてより良く生きていくための大切なレッスンとなることも知ってくださいね。
(PBA制作「世の光」2015.1.12放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。