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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■義人は幸い / 福井 誠

2015年01月01日 | Weblog
2015/01/01放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「義人は幸い」です。それでは、イザヤ書3章10節から読んでみましょう。

 「義人は幸いだと言え。彼らは、その行ないの実を食べる。

 皆さんは日々何を頼りにして生きているでしょうか。お金でしょうか、会社でしょうか、ある特別な人でしょうか。何かを頼りにして生きていることはあるものですねえ。イザヤの時代、人々は自分たちの支えとして軍隊・裁判官・預言者・法律家・占い師、様々なものを頼りにして生きていました。しかし神は、そのような、人が頼りにするものを除かれる、と断言します。それはまことの神を知るため、誰が本当のいのちの支え手であるかを悟るするためである、と言うわけです。

 私たちは世の中の出来事を神がすべて握っておられるということを理解しなくてはいけません。神様なんて空想の世界だ、ではありません。神は目には見えなくても物事の背後にあってすべてを導いておられるお方です。ですからその神様を認めないのなら期待はずれのことが起こる結果にもなる、と言います。

 例えば、指導者を頼りにしても、神は真に知恵ある指導者を取り去られ、代わりに気まぐれで中身のない指導者を与えることもあります。その結果、国は無政府状態になり、混乱に陥り、間違ったものを信頼した苦しみを味わうことになるわけです。

 けれどもそれはあくまでも本当の人の支え手は神であることを悟らせるためです。ですから、たとえ私たちが間違ったものを信頼して人生につまずくことがあっても、望みが無いわけではありません。神様を敵に回したのだからもうどんなに自分の人生を修復しようとしても無駄である。ますます坂をころげ落ちるのみで回復の望みはない、と思ってはなりません。「義人はその行いの実を食べる。」 つまり神様に立ち返って正しい歩みをするならば、その報いを得る、と言います。問題は私たちが人生の坂をころげ落ちて行くような時に、そこで悔い改められるか、です。自分が支えとしていたものが間違っていたことを認められるか、ですねえ。本当に私たちの人生を変えてくださる、支えてくださる神様に心を向けて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.1.1放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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