♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の山の上には備えがある / 岩井基雄

2014年09月12日 | Weblog
2014/9/12放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。神様は様々な助けを用意して私たちの人生に触れてくださることがありますね。苦難や失望などの人生の荒波の中でこそ味わうことができる神様の助けがあるのです。

 先月も学んだように、アブラハムは愛する独り子イサクをモリヤの山で捧げよ、との命令を受けました。アブラハムが遭遇したこの人生の荒波は、言うならば神様ご自身が起こしたものでした。

 しかしその中でアブラハムは神様の真実に信頼し実行しようとしましたが、神様は息子を屠ろうとする彼の手をとどめられ、代りに角を薮に絡ませた雄羊を用意してくださったのです。そのすべてのことを通して、「主の山には備えがある」、---旧約聖書に記されたヘブル語ではアドナイ・イルエ---、と言われたのです。聖書にはこのようにしさえています。

 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶに引っかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。
          旧約聖書 創世記22章13節、14節

 神様は意味もなく私たちの人生に苦難を与えることはなさいません。不思議な助ける道を用意した上で、私たちに敢えて苦難の道を通らせることがあるのです。そこでこそ私たちは自分の限界を思い知り、本当に信頼できる方を信じる者とされ、真の平安と力が与えられていくのです。聖書が語る信仰は本当に信頼できる方を正しく信頼することだからですね。すべてのことに主権を持つ神様に信頼を置くとき、私たちもまた人生の苦難や荒波の中で「主の山には備えがある」すなわちアドナイ・イルエを体験することができるのです。
 
 聖書のことば

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
      新約聖書 コリント 第一の手紙 10章13節

 (PBA制作「世の光」2014.9.12放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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