♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のわざが現れるため 3 / 大嶋重徳

2014年09月16日 | Weblog
2014/9/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。ヨハネの福音書9章には、生まれつき目の見えない青年に、イエス様の弟子たちが「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と質問した出来事が記されています。

 この弟子たちのことばがこの当時のユダヤ社会の考え方でした。彼はいつものように言われてるなあと思っていると、今まで聞いたことのないことばが聞こえてきたのです。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

 彼は今まで聞いたことのないことばを聞くんですね。「ええっ? 誰? どういう意味?」 すると、何か目の前でペッという音がして、ベチョベチョ、こねこね、という音がして、自分の目のまぶたにいきなりムチャッとしてものが塗られたんですね。そして「行ってシロアムの池で洗いなさい。」と言われたのです。

 これはびっくりですよ。周りも「おいおいイエス様。」と思ったかもしれません。一番驚いたのは本人でしょう。普通だったら、どこのどいつが俺が目が見えへんからってバカにして、と怒ったかもしれません。しかし彼の耳には確かに、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と聞こえた。今まで周りは目が見えないのは親の犯した罪のせいだと言ってきた。しかし自分の親のせいでも自分の犯した罪のせいでもないのか、このことばを聞いた時、彼はシロアムの池に向かおうと思ったのです。彼は自分の人生に起こった出来事を自分のせいにするのでもなく親のせいにするのでもなく真正面から向き合い、神のわざが私には現れるとは何だろうか、と考えながらシロアムまで歩きました。シロアムの池で洗った時、彼の目は見えるようになったのです。

 イエス様のことばは私たちが今まで聞いたことのない響きをもっています。時には、「えっ? どういうこと?」とすぐには分からないこともあります。しかしイエス様のことばに出会うとき、自分の人生と向き合うことを恐れず、自分の人生を神のわざが現れるとは何か、と神様の眼差しの中で考えることができるようになるのです。さあ続けてこの男はどうなっていくのでしょうか。続きは来週です。

  ( PBA制作「世の光」2014.9.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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