♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のわざが現れるため 1 / 大嶋重徳

2014年09月02日 | Weblog
2014/9/2放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書9章には、生まれつき目の見えない青年が出てきます。イエス様の弟子たちがその目の見えない青年を見て、イエス様に質問して言いました。「先生。彼が盲目に生まれついたのは誰が罪を犯したのですか? この人ですか? その両親ですか?」 何と残酷なことばだろうと思います。「あそこの子どもな、なんか目が見えへんらしいで。あそこのオヤジ、結構若い頃無茶してたからやな。」 これが当時のユダヤ社会の考え方でした。生まれてからずっとこう言われ続けていると、俺がこうなったんは親のせいや、と彼は自分の親を憎く思ったこともあったでしょう。また、親は親で目の見えない息子が生まれてからずっと、「あそこの息子見てみい。あの人、ええ人のように見えてたのに、裏では何をやっているか分からんなあ。」と、謂れのない陰口を叩かれたりする訳です。また「ほんまに自分のあの時の罪のせいで、この子は目が見えなくなったんかなあ」と、自分のことを何度も何度も責めた夜があったでしょう。

 8節を見ると、目の見えない彼は物乞いをしていた、とあります。彼は家を追い出されたか、自分から家を出てきたのです。この家族は壊れてしまっていました。

 この弟子たちが語った「イエス様。彼の目が見えないのは彼のせいですか? 親のせいですか?」というユダヤ社会の当然は彼ら家族をどれだけ傷つけてきたでしょうか。しかしイエス様は弟子たちにはっきりと「この人でも両親のせいでもない。」とおっしゃいました。実は私たちの間にも顧みることなく当然のように口にしてしまっていることばがあるのではないか、と思います。当事者がどんな思いでその事を考えているのか、その事に心を痛めているのか、を考えずに発してしまっていることばの数々。イエス様のことばに出会うとき、善意であっても誰かを傷つけている人間のことばに気が付いていくことが起こります。このイエス様のことばの真実に触れるとき、自分のことばを顧みる機会が与えられ、神様の見つめておられる視点が与えられます。是非とも聖書を読んでみていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2014.9.2放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする