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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ダビデの行ったこと / 福井 誠

2014年01月16日 | Weblog
2014/1/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ダビデの行ったこと」です。

  それでは第二サムエル記の11章27節から読んでみましょう。
 「喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を生んだ。しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった。

 イスラエルの中東での地位が確立し、王国が安定期に入りました。するとダビデはもはや戦争には出ていかず、将軍にすべてを任せるようになったようです。ある日ダビデはどうやらエルサレムに残って暇つぶしをしていたようですねえ。夕暮れ時に起き上がっダビデは見晴らしの良い屋上に上がり、ぶらぶらしているうちに、一人の美しい女性を見つけるのです。ヘブル語で読むと「見えた」という動詞の意味は「ちらっと見えた」というのではなくて、「見つけてじっと見た」というものです。

 ダビデは早速その女性の素性を調べさせ、夫がいる女性であることを十分承知しながら宮殿に召し抱え、一夜を共にします。何と女性は身ごもってしまいました。そしてダビデは秘密を守るために彼女の夫を戦死させるように部下に命じるのです。どうしたというのでしょう。多くの詩篇を書き、神と共にある幸せを歌うダビデとはまったく別人、まさに極悪人ですねえ。しかしどんなものでしょうか。これが私たちの本当の姿なのかもしれませんね。完全な人間はいないし、ある日突然、悪人になる者もいません。百パーセントの悪人もいなければ、百パーセントの善人もいません。人間は純粋で美しい心を持つ反面、どす黒いきたない心をも合わせ持っているものです。そしてそのきたない心があるきっかけになって大きな失敗をしでかすもとになっていくのです。ダビデも純粋に神を求める心を持ちながら、こんな大それた罪を犯す弱さを持っていました。ダビデは急に豹変した訳ではありません。ダビデにも男としての弱さがあったという訳ですね。「ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。」 ダビデの行動に目を留めている神の姿を覚えさせられるところですね。

 日々罪を捨てて正しい歩みを踏みしめて行くことができるように、教会へ行って神のことばに耳を傾けたいものです。



(PBA制作「世の光」2014.1.16放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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