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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あわれみの器 / 山中直義

2012年12月11日 | Weblog
2012/12/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 私たち人間はある意味で器である、と聖書は言います。私たちの内側には何が満ちているでしょうか。

 新約聖書ローマ人への手紙9章24節にこんなことばがあります。
 「神は、このあわれみの器として、私たちを、・・・召してくださったのです。

 神様は私たち人間を「憐れみの器」として造ってくださった、聖書はそう言います。この「憐れみ」ということばの語源は内臓ということばです。すなわち腹の底からの思い、わき上がって来るどうしようもない愛、その神様の愛に満たされるようにと私たちは造られた、聖書はそう言うのです。

 しかし私たち人間はいつの間にかその神様の愛ではない何か他のもので自分を満たそうとしてはいないでしょうか。このローマ人への手紙9章に登場するイスラエル民族は自分たちの宗教的な知恵、宗教的な立派さ、名声というものに自分を満たそうとしてしまった。そしてその結果、一番大切な神様の愛を締め出し、踏みにじってしまった。聖書はそう言います。

 そんな彼らを神様はどのように取り扱われたでしょうか。中身も器も丸ごとを捨ててしまわれたのでしょうか。いやそうではないと言います。神様は彼らに本当に大切なものは何なのかを気づかせるために試練を与え、大切なことに気づかせようと丁寧に関わってくださった、と言います。

 私たちの人生にも時に思いがけない試練が訪れることがあるかもしれません。しかしそれは神様からの冷たいさばきではなく、愛に満ちた神様の関わりであると聖書は教えています。様々な試みの中で何が本当に大切なものなのかようく考え、本当に大切なものによって自分を満たして歩んでいきたいとそう思うのです。

 私たち人間はあわれみの器として造られました。神様の腹の底から湧き上がる深い愛によって満たされるそのために造られた、と聖書は言うのです。神様の愛、深い憐れみは聖書のことばに満ち溢れています。もしあなたが丁寧に聖書を読み、心を込めて聖書のことばを味わうなら、あなたの内側にも神様の愛、憐れみが満ちていきます。神様の愛に満たされて生きる、そんな幸いな人生をあなたもどうぞ歩んでください。

(PBA制作「世の光」2012.12.11放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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