世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
昔のことですが、ソビエトの時代にスターリンという人がいました。 彼はですねえ、何と不老不死の薬を研究開発させるためにシベリアに秘密の研究所を作ったというんですねえ。 もちろんそんな薬を作り出すことはできませんでした。
私たちの抱える大きな問題の一つ、それは死という問題ですね。 イエス・キリストがある時、ベタニヤに住むマルタとマリヤの家に行かれました。 その兄弟であるラザロは病気になってしまって遂に死んでしまったんですね。 多くの人は死を悼(いた)み悲しみ涙を流していました。 しかしイエス様は人々が涙を流しているその時にこう言われたんです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節)
とても不思議なことばですよね。 イエス・キリストというお方の中にはいのちが満ちている。 死というものさえも乗り越えるいのちをイエス・キリストは与えることができるのだ、とイエス・キリストはそこでおっしゃったんです。 そして墓に眠るラザロを何と、よみがえらせてくださいました。
この出来事はイエス様がこの地上に来られたことの意味と約束を明確に示す出来事になりました。
まず第一に、イエス・キリストは、死は終わりではない、とはっきり語られたんですね。 誰にも容赦なく襲う死という事柄、これは例外なしです。 すべてを奪い去るかのような悲しみのもとです。 しかしイエス様は、その死は終わりではない、と言われたんです。
第二に、死を乗り越えるいのちがある、と言われました。 イエス様は、死んでも生きるという世界があるのですよ、死は終わりではなく、死を乗り越えるいのちがあるんですよ、と言われたんですね。
そして第三に、イエス様ご自身がそのいのちそのもので、イエス・キリストを「信じる者は死んでも生きる」と言われました。 イエス・キリストを信じていたって私たちはみな死んでいきますよね。 でもイエス様は「死んでも生きる」と一人ひとりに語りかけてくださったのです。
イエス様がご自分の生涯を懸けて取り組まれたことは、私たちが避けようのない罪を取り除くという働きでした。 それはどのようになされたのでしょう。 イエス様ご自身が私たちの罪を背負い、その報いである罪と死を十字架上で受けてくださるというものでした。 十字架で死なれましたが何とイエス様は三日めに復活されたのです。 そのことを通してイエス様は死を乗り越えたお方であり、私たちにもこの復活のいのちを与えることができる方として今も生きておられるのです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節) あなたはこのことを信じますか?
(PBA制作「世の光」2009.6.23放送でのお話しより)
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