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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪からの解決は

2009年06月09日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 えー、毎日のニュースを見ていて思うことの一つは、どうして人は平和を願っているのにいつも争いがあるのだろう、ということです。 

 実は聖書は、はっきりとそれに対してこういうふうに答えているんです。 それは人間の戦う欲望や何でも手に入れたいという貪欲さ、そうした心が争いをもたらすのだ、と教えているんですね(ヤコブの手紙 4章1、2節参照)。 要するに人間の心の奥底に罪があるということが原因だ、というんです。 

 聖書で言う「罪」とはもともとは「的外れ」という意味なんですね。 要するに何か「ずれている」という意味なんです。 

 お互いの身体のことを考えてみてください。 例えば体調がおかしくなり病気になるということはどういうことでしょう。 それは正常な状態からずれてしまっている、っていうことですね。 血圧が高いとか、血糖値が高いとか、ま、本来の状態からずれを起こすと身体は病気となって、ま、いろいろな症状が出てきます。

 ですから、人の心の罪というのは様々な問題を引き起こすのです。 本来人は、愛し愛されるべき存在ですね。 でもその姿がずれていったらどうでしょう。 自分さえ良ければ良いというような心のずれというものを持っているとするならどうでしょう。 憎しみが妬みが争いが、そして分裂が生じてきますよね。 そして結果的に大きな痛みを持つようになるのです。 

 聖書は、「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙 6章23節)と記しています。 この罪は放っておくなら結局人生を空しいものとし、死という絶望しか生み出さないのだ、と断言しているのです。 

 それではこの罪の問題の解決はあるのでしょうか。 聖書ははっきりと、この解決のために二千年前にイエス・キリストはこの地上に来てくださった、と語るんですねえ。

 「罪から来る報酬は死です。」 ですから罪の解決はもはや死をもって償うしか道がない、と(聖書は)言うんですね。 

 イエス・キリストはその口に何の偽りもない、罪のない神のひとり子でした(ペテロの手紙第一 2章22節参照)。 そのイエス・キリストがあのむごたらしい十字架につけられましたよね。 罪のない方が十字架につけられたのです。 何という矛盾でしょう。

 しかし、そこにこそ罪の解決があるんです。 それはイエス・キリストが死をもってしか償うことのできない私たちの罪のすべてを御自分で身代わりとなって引き受けてくださり(ペテロの手紙第一 2章24節参照)、私たちに代わって十字架について命を捨ててくださった、ということなんです。

 私たちの心の罪を背負ってくださり、罪を赦してくださる。 ここにこそ人間の罪の問題の解決があるんですね。 私たちは自分の罪を自分の力でどうすることもできません。 でも、イエス・キリストの十字架に罪の赦しの解決があるのです。 

 (PBA制作「世の光」2009.6.9放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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