世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。
聖書の中の放蕩息子という喩え話がありますが、この話しには続きがあります。
実はこの放蕩息子にはお兄さんがいたのです。 この兄は、放蕩三昧をしぼろぼろになって父のもとに帰ってきた弟を快く迎えられませんでした。 まじめでいっしょうけんめい働いてきた兄でしたから、女性に溺れ、財産を使い尽くし、恥ずかし気もなく戻ってきた弟を赦せません。 そして弟を歓迎する父親に怒りを表します。 聖書にこう書いてあります。
兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。・・・それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』(ルカの福音書 15章29-30節より)
私はこの兄の気持ちがよく分かります。 父の扱いは不公平で理不尽だと思うのです。 しかし、それは違っていました。 この兄は喜んで父に従っていたのではなく、いやいやながら従い、時に自分の評価を求めて、評価をして欲しいから従っていたのです。 ですからこの兄は自分を立派だと思うゆえに、そうできなかった弟を裁いていたのです。 この兄の心には高慢や傲慢の問題が隠れていました。
聖書はこう続いています。
父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』(ルカの福音書 15章31節 新改訳聖書第二版)
この父のことばには、なぜお前は他の人のことを喜べないのか、なぜ他の人を見下したままなのか、自分の傲慢さに気がつかないのか、というメッセージがそこにあります。
この兄も父から愛されていました。 しかし彼は父なる神様の愛に気がつかず、他の人や神様を裁き、みずからを正しいとしていたのです。 あなたはいかがでしょうか?
どんな人にも神様の愛は注がれています。 自分のきたなさに気づき、その愛を受け入れるかがどうかが大切なのです。 あなたも自分の隠された罪、高慢や傲慢さを認め、神様の愛を受け入れませんか?
ではまた聴いてください。
(PBA制作「世の光」2009.6.26放送でのお話しより)
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