世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「聖書が成就するために」です。
それでは聖書の中のヨハネの福音書19章28節から読んでみましょう。
この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。
なぜイエスは十字架にかけられたのでしょう。 先週はユダヤの宗教家たちの妬みがその理由の一つであるとお話ししました。 人気を奪われ、群集にそっぽを向かれたユダヤの宗教家たちがイエスを亡き者にしようとしたのです。
今日の箇所には、もう一つの理由が明らかにされています。 つまり、イエスの十字架の死は神があらかじめ御計画されたものであり定められたものであった、ということです。 後にイエスの弟子ペテロはイエスの十字架の意味についてこう語りました。 イエスは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロの手紙第一 2章24節)
日本人は、過去の罪を水に流すという考え方と文化を持っています。 罪や汚れを洗うために川などで水を浴びて身を浄める禊(みそぎ)の儀式というのはまさにそういうものではないでしょうか。 しかしユダヤ人は、罪は血によって --つまり犠牲によって-- 赦される、という発想と文化を持った民族です。 まさにそのユダヤの文化の中でこそイエスの十字架は罪の赦しのために捧げられた尊い完全な犠牲であったと理解することができるのです。
これは遠い昔から全人類の罪の赦しのために神が御計画されたことでした。 そして聖書の多くの預言者を通して語られてきたものでもあります。 イエスはその預言の通りに、神が御計画されたすべての人の罪の赦しのために必要なことを最後まで成し遂げられたのです。
罪は水に流せるものではありません。 償いが必要です。 イエスがそれをすべて為してくださったのです。 神の赦しを受け入れて新しい生活を始めてみませんか?
(PBA制作「世の光」2009.6.4放送でのお話しより)
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