安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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福島原発事故3年~「風化」とどう向き合うか

2014-04-04 22:24:48 | 原発問題/一般
巻頭言~「風化」と向き合う(政経東北3月号)

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 中央との間には温度差があることをあらかじめ理解し、同じ価値観になれるよう努めることが、4年目以降の復興の大きなポイントになる気がする。

 そのためには、中央側に共感を求めるだけでなく、県民が自らの思いや生活実態、経済復興の現状などをしっかり発信していくことも重要だ。例えば、原発再稼働に対する懸念、放射性物質への意識や対策など、県民にとっては当たり前すぎて話題に上らないことでも、外部に向けてあらためて伝える必要があるのかもしれない。

 本誌にできるのは1つ。そうした県民の声をできるだけ取材し、多くの人に伝えることだ。
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「政経東北」誌のこの提言に、当ブログは同意する。東京と福島の間に情報格差があるのは当然のことだ。「電力消費地の東京が理解してくれない」と嘆くばかりでなく、「今、福島はこうなっている」と発信に努めなければならない。「言わなくてもわかってくれるはず」と口をつぐんでいては、結局、何も伝えることはできない。

福島は、良く言えば暖かみのあるゲマインシャフト的共同体、悪く言えば田舎ムラ社会だ。噂はすぐ広まるし、よそ者はすぐにわかる。何をおいても年長者の言うことは絶対だし、いちいち詳細な説明をしなくても「あうんの呼吸」で相手の真意を理解すべきとされ、人々は空気を読みながら生活してきた。

そうした時代を長く続けてきた結果、福島の人々は過去、自分たちのことを共同体の「外」に向かって発信する必要性を感じてこなかった。中央に出て活躍する福島出身者には有能な人も多いが、シャイな県民性のせいか、他の地域の出身者のようにこれ見よがしの「ふるさと自慢」もせず、地味な存在だった。ある意味で平和な時代だったといえるが、3.11以降の福島はそれまでとは違う社会になったという自覚を持つべきだろう。多くの県民は考えたくないかもしれないが、福島県民は、福島に生まれ育ったというだけで、今後、特別な人生を歩まなければならないかもしれないのだ。

誤解のないように付け加えておかなければならないが、福島に生まれ育った人々が「特別な人生を歩む」というのは「差別を受け入れて生きろ」とか「不幸の十字架を背負って生きろ」という意味では決してない。福島の人々が、普通の人々と同じ幸福を追求する権利を、その生まれゆえに初めから捨てなければならないような社会にすることは絶対に避けなければならない。当ブログが主張したいのはそのようなことではなく、事故を起こした原発の地元からでなければ発信できない事実が存在すること、それを発信していくために、福島の人々が特別の責任を負う立場になったということなのだ。

当ブログはまた、200万福島県民の全員が、ひとり残らずこの「特別の責任」を全うせよなどと主張するつもりもない。初めはできる人だけでかまわない。200万県民のうち10人、20人だけでもいい。原発事故によって特別な運命を背負うことになった福島の過去、現在、そして未来について、外に向かって発信する役目を負う人々が必要なのだ。

「政経東北」誌は、その特別な役割を担う決意を、いつものように気負わず淡々と表明している。当ブログもまた、原発事故を挟んで6年間、福島に滞在した経験を基に、その役目を担いたいと思う。福島を離れてはや1年…さすがに、生々しい伝聞に基づく情報は次第に少なくなってきた。しかし、そのような不確実で危うい話や、裏付けの取れない情報をやみくもに掲載することは当ブログは過去も避けてきたつもりだし、今後も情報の確実性や重要性を吟味しながら当ブログへの掲載の可否を判断していくことになる。しかし、情報発信自体は今後も続けるであろう。特別な運命を背負ってしまった福島と、その中でも懸命に生きている人々の努力が報われる社会であるために。

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