王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

1日 アントニオ猪木さん死去、79歳 「燃える闘魂」、元参院議員

2022-10-03 09:31:47 | スポーツ
1日 元プロレスラーにして参議院議員でも活躍されたアントニオ猪木さんがお亡くなりになりました。79歳でした。その知らせを聞いたとき、少し若いのでない? とおもいました。その知らせと一緒に「亡くなる数日前の映像」をチラッと見ましたが、あの強い立派な体がベッドに横たわり自分で身動きできない状態を知り驚きました。「全身性アミロイドーシス」 で、アミロイドと呼ばれるナイロンに似た線維状のたんぱく質のかたまりが、全身のさまざまな臓器に沈着し、体の異常を起こす病気の総称のことを指すそうで、あちこちに不具合が起きてしまったようです。偶然でしょうが「こんな姿も知ってもらい、戦っているのを知ってもらう」みたいな事を話していました。
今朝、新しいNHKの朝ドラの後、TVを「羽鳥慎一モーニングショー」に切り替えると、猪木氏 デビューから、最後の場面までよく取りまとめて流しました。プロレスラーとして大活躍、モハメド・アリとの異種間試合など忘れていることを思い出しました。参議院議員の2期の間は「スポーツ外交」を唱え、イラクの人質事件や北朝鮮との交流にも力を尽くしていたのですね。おそらく政府の政策と合致しなかったので「華々しく報道される事は無かった」様です。
人の一生は「簡単に評価するのは難しい」様ですが、燃える闘魂で精いっぱい生きられたのでないかと思います。
謹んで哀悼の意を表します。      合掌

写真:元気な頃の猪木氏

時事通信:
「燃える闘魂」のキャッチフレーズでプロレスラーとして人気を博し、参院議員も2期務めたアントニオ猪木(あんとにお・いのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳だった。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送っていた。葬儀は未定。 横浜市出身。家族とブラジルへ移住し、1960年に17歳で力道山にスカウトされ、日本プロレス入りした。「コブラツイスト」「卍(まんじ)固め」「延髄斬り」などを得意技にジャイアント馬場、ザ・デストロイヤーらとともにプロレスブームを巻き起こした。
 72年に新日本プロレスを設立し、タイガー・ジェット・シンら外国人スターを売り出してファンを獲得。76年にボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリと異種格闘技戦を行うなど、常に話題をまいた。
 89年にスポーツ平和党を結成し、参院選で初当選。90年の湾岸危機では、イラクに乗り込み、人質となった日本人の解放に尽力した。
 95年に落選したが、2013年に日本維新の会から参院選へ出馬し、18年ぶりに国政復帰。独自のパイプを持つ北朝鮮をたびたび訪れ、親善活動に取り組んだ。19年に政界を去った。
 プロレスは98年に現役を引退したが、その後もイベント企画などを手掛け、「1、2、3 ダァーッ」や「元気ですかー」の掛け声、「闘魂ビンタ」などのパフォーマンスは、国内外で幅広く親しまれた。 
(引用終わり)





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