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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

国松警察庁長官銃撃事件が時効

2010-03-30 11:34:33 | 社会
警察庁長官銃撃事件が時効=実行役特定できず-「被疑者不詳」書類送検へ・警視庁(時事通信) - goo ニュース

国松警察庁長官が銃撃された事件が30日午前0時に時効を迎えたそうです。
殺人未遂罪での公訴時効15年が成立したそうです。
被疑者不詳で一件落着の様です。

警視庁公安部の捜査で一頃オウム真理教の信者である巡査長が「自分が撃った」との自白にと「神田川に銃を捨てた」との自供があったとかで:
「神田川に警察のフロッグマンが潜ったりついには台船にクレーンとツメを付けた装置で川底を根こそぎ浚っていました」が銃は発見できませんでした。この事件は当初からオウムの幹部(死刑が確定)等が関与している事が疑われていましたが「巡査長関与の自白を得る事ができず」最終的に「巡査長は不起訴」でした。
一方この報道には載っていませんが「名古屋の銀行で拳銃強盗」を行なった男(76)が犯行を自白した事で警視庁の捜査1課が別筋で証拠探しに動きましたが決定的な物証(拳銃とか共犯とか)を突き止められませんでした。
公安部と捜査1課の鞘当で捜査が機能しなかったとの厳しい指摘もあります。

そもそも厳しい見方をする人は「平成時代の幕開けはオウムの悪事と共に始まった」という人もいます。そういえば「地下鉄サリン殺人事件」が20日に15年目の慰霊式を行なっていました。サリン事件後の1995年3月22日にはカナリアを鳥かごにいれ上九一色村のオウム本部に強制捜査に入る警察部隊のTV映像を思い出しました。

その後オウムの悪辣振りがはっきりしたわけですが「これだけの無法組織を非合法化して解散させるだけの力が日本の政権にはありませんでした(具体的には破防法の適用を公安委員会が見送ってしまった)」

その間(今では北朝鮮による)拉致による行方不明があって未だに5名の帰還意外は進展がありません。
つい最近では中井国家公安委員長の「夜の忍び歩き」で見られるように:

「国民の声明と財産を守るため(せめて在任中だけでも)身体を張って守る」との国士がいません。

この辺りのどこかに警察庁長官が狙撃されたのに犯人が特定できない素地が有るような気がします。

追記:
30日午前警視庁の公安部長が記者会見で「オウムの信者が事件に関与している」と発言しました。加えてその経過を(警視庁の)HPに30日掲載続けるとか。
司法組織の一部である警視庁が「時効成立までに被疑者に関する物証を入手できず公判維持が不可能」との判断ですから時効成立後に「オウムの信者が被疑者」だと公言するのは重大な法律違反の気がします。警察庁なり法務省なり疑義を挟む人は居ないのですかね?


時事通信:
1995年3月、国松孝次警察庁長官(当時)が自宅マンションで銃撃され、重傷を負った事件は30日午前0時、殺人未遂罪の公訴時効(15年)が成立した。警視庁は「被疑者不詳」で書類送検し、東京地検は証拠物を精査した上で、不起訴処分にする。

 警察組織のトップを狙った前例のないテロをめぐり、同庁南千住署捜査本部は延べ約48万人を投入。オウム真理教の組織的犯行とみて容疑者逮捕に全力を挙げたが、実行役を特定できず、真相は闇に包まれたままだ。

 国松長官は95年3月30日午前8時半ごろ、東京都荒川区南千住のマンション前で、背中や腹部など3カ所を撃たれ、重傷を負った。

 捜査関係者によると、96年5月、教団信者だった元同庁巡査長(44)が「自分が撃った」「拳銃は神田川に捨てた」と述べ、事件関与を認めた。

 しかし、元巡査長の供述はほとんど裏付けが取れず、神田川で拳銃は見つからなかった。元教団幹部数人が現場にいたとも話したが、いずれも関与を否定した。

 捜査本部は2004年7月、事件関与の疑いが強いとして、殺人未遂容疑などで元巡査長ら4人を逮捕したが、供述は変遷し、不起訴となった。

 その後の捜査で、元巡査長のコートや眼鏡、マスクなど複数の所持品に火薬成分が付着していることが判明。捜査本部は元教団幹部らの事情聴取を続けたが、銃撃を直接的に示す証拠はなく、状況は打開できなかった。  (引用終り)

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