Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

大感染症下の五輪、前例はあった

2021-07-28 21:44:13 | スポーツ

卓球混合ダブルス戦にての対中勝利、そして今大会が最後とされる 女子ソフト・ボールの対米勝利。この他、いずれも金以下メダルを決めた我国代表を素直に称えたく思う。テニス精鋭、大坂なおみ選手の惜敗は残念も「時に勝ち、時に敗れる」のが勝負ではないだろうか。

五輪代表としての勝利はならずとも、同等の国際大会はこれからも我国開催の機会があろう。独り大坂選手に限った事ではないだろうが、敗れたなりに今回の試合を総括検証し、次への糧とする事を願いたい。大口は利けないが「勝って奢らず、負けて腐らず」が勝負の一本質だと拙者などは思う。

徐々に本題へと向かいます。又も流行が明らかになり始めた中国大陸他由来の新型コロナ・ウィルス感染症のせいもあって、今回東京五輪への反対意見や中止要請も少なくなかったのは事実。しかしながらそうした動きは 実は前述感染症流行前から目立っていた事で、最近でも五輪反対・中止を志向するデモ隊の前方には 中核派など極左過激勢力のロゴがはっきり認められた。それらは我国の正統的政治姿勢を志向した安倍前政権などに対抗する勢力であり、前述感染症の影響に対する警戒の必要は重く認めるも、こうした勢力の不良な動きは、防疫の問題とは区別されるべきだろう。

その感染症禍にあっても、かつて敢えて実行された五輪大会の前例が見つかった。既にご存知の方もあるかもだが、以下 先日の日本経済新聞ネット記事を引用して、見ながら考えて参りたい。

「パンデミック下、100年前も開催。1920年アントワープ大会。スペイン風邪乗り越え、五輪旗登場」

(今回) 東京五輪のおよそ 100年前、1920=(大正 9) 年にベルギーで行われた アントワープ五輪も、スペイン風邪の世界的大流行パンデミックを乗り越えての開催だった。第一次大戦も終わったばかり。多大な困難を乗り越えて開かれた約 100年前の五輪には、どんな思いが込められ、どう評価されたのだろうか。

アントワープ大会を取り巻く状況は、今回の東京より深刻だった。1914=(大正 3) 年から 1918=(同 7) 年まで続いた大戦は ヨーロッパが主戦場となって約 1800万人が犠牲になり、スペイン風邪では 1920=(同 9)年の収束までに 4000万人以上が亡くなったとされる。

ベルギーは大戦でドイツに侵攻され、港町アントワープの町並みには 至る所に戦禍の跡が残っていた。開催できた背景には、ベルギーでスペイン風邪の被害が軽微だったとみられることや、五輪がまだ欧米諸国中心の限定的な大会だったという事情もある。

だが、最も大きかったのは スポーツを通じて世界の平和と団結を訴える五輪運動を未来につなげようとした意志だろう。始まって 20年余りの近代五輪は 1916年大会が戦争で中止となり、存続のピンチを迎えていた。五輪史を研究する 筑波大の真田 久・特任教授は「 2大会続けてできなかったら、五輪は終わっていた可能性もあった」と話す。

大会には 当時最多の 29カ国が参加した。8/14の開会式で、国際五輪委 IOC会長で創設者のクーベルタン(男爵) がデザインした 世界五大陸の団結を示す五輪旗オリンピック・シンボルが初めて掲揚された。平和を希求してハトを放ち、選手宣誓も初めて行われた。この大会から 五輪は「平和の祭典」として位置付けられたといえるだろう。

大会の評価は肯定的なものばかりではない。準備期間はわずか 1年余り、競技会場には整備不足も目立った。ベルギー国民も 開催を喜べるような状況になく、IOCの意思ばかりが目立った大会との見方もある。

日本は 1912年ストックホルム大会に続いて 2度目の参加で、テニスで五輪初のメダルを獲得した。シングルスとダブルスでともに決勝で敗れて銀メダルの熊谷一弥は、自著でコートの整備の悪さを指摘し「これがオリンピックの晴れのひのき舞台とはお世辞にも申しがたい」と振り返っている。

それから約 100年。現代の五輪は巨大化し、当時と単純な比較はできない。ただ 感染症の脅威に加え、過度の商業主義で理念を失ったと批判される五輪が 存続のピンチにあるという意味では、当時と共通する。7/23 の開会式は初めての無観客となった。17日間を通して、一世紀前の五輪旗の登場に匹敵するような、真の五輪の価値を示すメッセージを発信できるか問われている。(引用ここまで)

第五波ともいわれる、感染拡大は脅威と自覚すべきは理解する。その上で やはり引用記事を拝読して、拙者は少し落ち着いて こうした問題と向き合える様になったかという所だ。現五輪組織委は 統治➡ガヴァナンス能力に欠け「平和の祭典」としての五輪を未来に繋げようとする意志を立て直し、進行中の今大会を 閉会までつつがなく運営し切る決意と本気度を見せるべきだが、まずはその大きな意志に堪えられる組織再建が急務だろう。

防疫面は、前世紀の当時と比べれば 或いは難しいだろうが、それが短期間にできれば前述感染症拡大を 少なくとも五輪エリアの中では抑え込め、進行中の大会運営への不安も相当に払拭できると心得る者だが。もう一方の、野党や大会反対勢力も この史実を謙虚に学んでいるか、やや不安である。政府与党批判も結構だが、いつまでも揚げ足取りレベルの拙劣な国会質疑を解消する為にも こうした史実の学習とかが必要ではないのか。そうでなければ、いつまで経っても対政権与党「攻撃的質疑」に終始して 結局は支持を大きく落とす事にもなろうかと思う所だが。今回画像は、先日捉えた 清州市内にての JR東海道線貨物便東上の様子を。


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2 コメント

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歴史に学ぶ (onecat01)
2021-07-30 12:20:02
HAKASEさん。

 世界大戦の傷跡が残り、スペイン風邪の流行する中で、アントワープ大会が開かれていたのですね。

 競技場の整備の追いつかないところもありながら、「平和の祭典」として行われた様子が、貴方の説明でよく分かりました。

 商業主義に振り回されている現在とはいえ、世界の多くの国民は、オリンピックを「平和の祭典」として祝福しています。

 オリンピックがある世界と、オリンピックのない世界を考えますと、あった方がどれだけ世界の平和と友好に貢献しているのか、すぐに分かります。

 大会本来の意味や目的を忘れ、瑣末な不手際や失敗を批判し、大会そのものを否定する勢力には、与してならないということが、ブログを読む人には伝わります。

 JR東海の貨物便に似て、今回のブログは華やかでありませんが、庶民の声を運ぶ、力強い列車です。頼もしく読ませていただきました。
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学びを願いたい史実 (HAKASE(jnkt32))
2021-07-30 13:02:11
onecat01さん、今回もご見解を有難うございます。

今度の東京大会のみならず、戦禍や感染症禍を乗り越
えてアントワープ五輪の史実は、拙者もつい先日学び
知った所です。

同じ感染症禍にあって、同様に国際五輪委 IOC主導色
が濃いとはいえ「平和の祭典」と位置付ける強い信念
があれば 大会は開ける、そして大過なく遂げられ
るだろう事を、拙者も改めて感じる所です。貴指摘
の様に、東京大会自体を否定する勢力には、決して
与すべからずとも思いますね。

画像の方もお礼を。仰る様に、貨物列車やトラック
、船舶にしましても、貨物に留まらず、多くの方々
の様々な声を各地に届ける役割をも果たしている様
に感じます。まずは お礼まで。
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