Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「海の勇者」堀江謙一さんのお言葉を復習する

2022-06-04 21:25:37 | スポーツ

一部を除く スポーツの話題とはちと縁遠い拙者だが、今朝はその世界で誇らしい記録が打ち立てられ、ご同慶の至りである。その記録とは、かねて敬愛の海洋冒険家にして我国海洋における所謂「マリン・スポーツ」の重鎮、堀江謙一さんによる 単独ヨットの太平洋横断・途中無寄港最高齢記録の樹立である。この快挙を心より称えると共に、以下 同氏の述べられた重いお言葉につき、復習の意味で振り返ってみたい所。まずは今日の NHK・ネット記事の引用から。

「83歳・堀江謙一さん世界最高齢ヨット単独無寄港大平洋横断を達成」

世界最高齢でヨットによる単独無寄港の大平洋横断に挑戦していた海洋冒険家、堀江謙一さんが 6/4未明、紀伊水道のゴールに到着しました。

兵庫県芦屋市在住の堀江謙一さんは 60年前に世界で初めてヨットで日本から米・サンフランシスコへの単独の太平洋横断に成功し、83歳になった今年 当時とは逆のルートで世界最高齢でヨットによる単独無寄港の太平洋横断に挑戦していました。

堀江さんは、今年 3月末に米・サンフランシスコを出発して航海を続けていましたが、6/4,2:39amに、和歌山県の紀伊・日ノ御碕灯台と徳島県の伊島灯台の間に設定した 紀伊水道のゴール・ラインを通過しました。

7:30am過ぎに NHKがヘリコプターから撮影した映像では、堀江さんのヨットが 兵庫県西宮市のヨット・ハーバーに向かって曳航(えいこう)される様子が見られ、中にいる堀江さんの後ろ姿を確認することもできました。

堀江さんを支援してきた事務局によりますと 曳航船と合流した際、堀江さんは笑顔で手を振って応じたということで、これまでの記録を 10歳以上更新して、世界最高齢での単独無寄港の大平洋横断を達成したことになります。堀江さんは 停泊地の西宮市のヨット・ハーバーで 6/5、検疫や入国手続きを終えてから (記者)会見を行う予定です。(引用ここまで)

改めて 堀江さん此度の快挙への祝意と共に、若き日と変わらぬ勇気を称えたい。初の単独無寄港大平洋横断を果たした折の著書「太平洋ひとりぼっち」は拙愛読書の一であり、近年も読み返した記憶がある。詳しくは末尾の関連記事に譲りたいが、数多くのヨットなどによる遠距離単独航海の折には、先の大戦の激戦地近くにて、旧海軍戦没各位への弔意を表したお言葉を述べられてもおり それは拙脳裏にも長らく焼き付いているものだ。又 全ての航海が成功という訳にも参らず、海保や自衛隊のお世話になった履歴があるも そうした事共への謝意も欠かさないのは流石と心得る者だ。その中から、まずは前掲「太平洋ひとりぼっち」文中からのお言葉をなぞってみる事としたい。

「堀江(さん)は (初の)太平洋横断中に『この海(ミッドウェー海戦)で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ・・・(中略) この海で亡くなった 3500人もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族や母親に会いたくて 日本に帰りたかったことだろうか・・・(中略) この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットがサンフランシスコのゴールデン・ゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる”花”とします。』と哀悼したことを述べている。」

この一事から、堀江さんの 先の大戦犠牲各位への深い弔意を、拙者は大いに感じながら育ったものだ。こうした気持ちの大切さは 特に母方の祖父から折々聞いていたものだが、後半生を迎えてみると 改めてその重さに感じ入るものがある様に思う。

堀江さんは又、航海が不調に見舞われた折などに世話になった 自衛隊各位に向けての謝意のお言葉もある。2016=平成 28年に表されたもの。以下、ご紹介しておきたい。

「僕が 78歳(2016=平成 28年当時) のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後 70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、”平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた 自衛隊がいたからだと思っている。

日本国憲法が認められているのに『自衛隊が違憲だ』などという考え方があるようでは、日本を守ることなど到底できるわけがない。それ以前に、命がけで日本を守ってくれる自衛隊員に対して失礼だ。もっと誇りをもって任務についていただけるよう 憲法を改正すべきだと考えている。右であれ、左であれ、愛国心をもって国について考えているのなら、僕は聞く耳を持つ。しかし僕は 反日だけはカンベンして欲しい。祖国を愛さないなんて、少なくとも海の男にそんな人はいない。僕はこれからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている」

拙者も、堀江さんのこの想いを長く共有したいと願う者だ。これは 60年を超える長きに亘って 海との、そして自然との壮絶な対峙の末に鍛え上げられた強靭な観念であろう。限りない敬意を覚える。然るに、政官民のどの世界にも こうした強く深い想いを軽んじる思考や思潮を持つ勢力がある。それは恐らく 戦後ずっと我国の思想を牛耳ってきた東京裁判史観と、その走狗たる日教組教育に嵌ったからだろう。決して、日本及び日本人が与してはならぬ思潮であるは勿論だ。本当の、本物の日本の価値観を知らしめて下さった 堀江さんの軌跡に、改めての敬礼を申したく思う。今回画像は、堀江さんの冒険舞台ともなった大平洋にも繋がる 三重・熊野灘近くの内海風景。通る線路は JR紀勢線。以下に 関連記事をリンク致します。(堀江謙一さんWikipedia) 堀江謙一 - Wikipedia

 


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4 コメント

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Unknown (しゃちくん)
2022-06-06 10:24:18
昔ヨットスクールに通いました。風の力を利用して前に推進するヨットに憧れがありましてね。
沿海航法で日本一周もしたいです。
返信する
海への憧れ (HAKASE(jnkt32))
2022-06-06 15:36:30
しゃちくんさん、今回もご見解を有難うございます。

そうですか、貴方もヨット道を目指された事があった
のですね。

海へのこうした憧れの想いは拙者にも少しはありましたが
、残念ながらそれを支える勇気と忍耐が足りなかった様です。

貴方ははまだご希望をお持ちの様で、いつか叶うと
良いなあと心得ます。という事で、拙者は総帥とも
いえる 堀江さんのお言葉に学ぶ事で、これからの
糧にできればとも思います。まずは お礼まで。
返信する
堀江さんの言葉 (onecat01)
2022-06-07 18:08:59
HAKASEさん。

 貴方を通じて、堀江氏の人柄を知りました。ヨットの冒険家としてだけでなく、反日左翼の波が高い日本を突っ切る冒険家でもあったのですね。

 「世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後 70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、”平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた 自衛隊がいたからだと思っている。」

 私も氏の言葉を、今回心に刻みます。教えてくれた貴方に、感謝します。
返信する
もう一方も「勇者」 (HAKASE(jnkt32))
2022-06-07 21:34:44
onecat01さん、今回もご見解を有難うございます。

幼時から親しんでいた事もあってか、堀江謙一さんは
種目の差を超え、拙者が我国で最も尊敬するスポーツ
・マンのお一人であります。

仰る通り、もう一方の「大いなる冒険」にも果敢に挑
まれ、揺るぎない信念をお持ちに至ったと心得ます。

「世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後 70
年以上 日本が平和だったからだ。日本が平和だっ
たのは、”平和憲法”を堅持したからではなく、命を
かけて日本を守ってくれた 自衛隊がいたからだと
思っている」の的を射たお言葉は、貴方とも共有を
しなければとも思います。まずは お礼まで。
返信する

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