Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

記憶~酔いどれ電停

2006-08-06 23:41:00 | インポート
すうじさん今晩は。当日記では初めて、貴方宛の伝言記事を記します。日付的に当然かも知れませんが。
そう、今から60余年前の1945=昭和20年のこの日、貴方がお住いの広島県の県都は人類史上未曾有の大惨禍に見舞われたのでしたね。
この日朝、広島県上空に飛来した合衆国軍機より投下された新型爆弾1発は8am過ぎに広島市上空にて炸裂、20万人を超える犠牲を生じる大惨事を引き起こしました。これが「原爆忌」ですね。我々日本人が決して忘れてはならない日付でしょう。
この事は一昨年、去年と毎年欠かさず触れて参りました。今朝も現地では追悼式典が厳かに催されましたが、核保有国よりの参加が僅かであるのは気になる所です。あの時の当事国、米合衆国は恐らく1度も参加していないのではないでしょうか。又、原爆に被爆した桜より分けられた苗木が手折られたり平和公園に供えられた千羽鶴が放火されるなど、当時の歴史をわきまえない不祥事の頻発も遺憾ですね。
当時の広島は、半世紀は復興不可能と言われた程の惨状だった様ですね。しかしながら都市の活力とは凄いものがありますね。
原爆投下の僅か数日後には、再興への動きが始まります。その後の高度経済成長期にかけての驚異的な復興はもう、語るまでもありませんよね。ただ、そうした現在の繁栄は、戦中の多大な犠牲の上に成り立っている歴史的事実は、くれぐれも記憶に留めておかなければならないと肝に銘じている所です。
所で同じ被爆地長崎もそうですが、広島と共に路面電車が市街地交通の主役を張っています。軌道内の一般車乗り入れ禁止措置に代表される優先走行策と、観光客にも利用し易い様配慮された営業策が奏功している様です。我が街とも言える豊橋にても、こうした施策を多く採り入れて、路面電車が都市交通の主戦足り得る様対策を願いたい所です。
新川電停を発った電車は交差点を左折、一旦進路を北に取って次の札木(ふだぎ)電停の北で国道1号と合流、右折後再び東へと進みます。札木の次の電停が豊橋市役所前。
ここの傍に建つ豊橋公会堂は、当地では有名な西洋式建築の1つですが、ドーム風の屋根が被爆前の原爆ドームにちょっと似た所がありますね。
と言う所で夏の有り難くない名物「夜の蝉時雨」が開演してしまいました。これから未明まで本当に蝉の大合唱!当居所周辺が深夜でも明るいせいです。
今夜は果たして、眠れるかな?*(日本)*

コメント
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