日曜日の午後は、教会学校の教師研修会でした。今回は近藤信子先生によるわらべうたの研修会なのでとても楽しみにしていました。
近藤先生は、NHKの「にほんごであそぼ」のわらべうたの指導をしておられ、つくば市で『とんとんやかた』というわらべ歌を基礎とした音楽教室を開いておられます。
日曜は同じ教会の礼拝に集っているのに今まで個人的にお話ししたことがありませんでした。今回、わらべ歌の素晴らしさを教えていただき、個人的にお話もできて、とても嬉しかったです。
まず、近藤先生の指導でわらべ歌の実践をしました。
いちにっさん にのしのご さんいちにのしの にのしのご……
と歌いながら指を出していくという単純な動作ですが、親指がいちになったり、小指がいちになったりと変化し、両手同時に出したりで、途中からついていけなくなりました。
最初緊張していましたが、やがて楽しくてたまらなくなりました。わらべ歌の持つリズムは、日本古来からあるので、なじみやすいですよね。
『あずきちょまめちょ』では、鬼につかまえられるかもしれないというスリルを味わい、
『かわのきしのみずぐるま』では、ルールを守って遊ぶことの大切さを学びました。
ふたりが向かい合ってすわり、「ここはとうちゃんにんどころ ここはかあちゃんにんどころ ここはじいじにんどころ ここはばあばにんどころ」(にんどころというのは似ているところという意味)
と言いながら相手のおでこ、あご、左右のほっぺたをつつき、顔をなでて最後に「○○ちゃん大好き」と抱きしめるわらべ歌には心がホカホカ温かくなりました。
触れ合うことによって、愛されていること、自分の存在の大切さがわかります。
鬼になって孤独を味わうことも大切で、ひとりで心細くてもあえて先生は付き添わないほうがいいのです。ひとりになっても、そのあとすぐに仲間になれるという安心感をもって孤独を体験させることも必要です。
また、好き嫌いに関係なく、遊びの中でいろいろな人と手をつなぐことによって嫌いな人を受け入れるようになります。と教えていただきました。
わらべ歌遊びをすることによって社会性も身につくのですね。わらべ歌ってすばらしい!と思いました。そういえばわたしも小学校低学年のとき、『花いちもんめ』や『ひらいたひらいた』などやって遊んでいました。
ところで、わらべ歌の歌詞の中には日本の神話に出てくる神や坊さんが出てきます。クリスチャンである近藤先生は、最初は悩まれたそうです。
でも、それらの上にまことの神がおられるのだから気にしないで取り入れているとおっしゃっていました。お坊さんがいなければ、日本の文化はここまで発展しなかったのでしょうから。
研修会には約20人(10代から60代の男女)の教会学校教師が参加しました。腰の痛い方は一部見学していましたが、わたしは年甲斐もなく(若ぶって?)全部参加。
『芋虫ごろごろ』などハードなものもあったので、翌日は疲れと筋肉痛と腰痛で、半日寝ていました。
わらべ歌の研修会のあと教師会だったので、家に帰ったのは6時を過ぎていました。3時ごろ豪雨に見舞われましたが、帰りが遅い時間だったおかげで雨はやんでいて感謝でした。
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近藤先生は、NHKの「にほんごであそぼ」のわらべうたの指導をしておられ、つくば市で『とんとんやかた』というわらべ歌を基礎とした音楽教室を開いておられます。
日曜は同じ教会の礼拝に集っているのに今まで個人的にお話ししたことがありませんでした。今回、わらべ歌の素晴らしさを教えていただき、個人的にお話もできて、とても嬉しかったです。
まず、近藤先生の指導でわらべ歌の実践をしました。
いちにっさん にのしのご さんいちにのしの にのしのご……
と歌いながら指を出していくという単純な動作ですが、親指がいちになったり、小指がいちになったりと変化し、両手同時に出したりで、途中からついていけなくなりました。
最初緊張していましたが、やがて楽しくてたまらなくなりました。わらべ歌の持つリズムは、日本古来からあるので、なじみやすいですよね。
『あずきちょまめちょ』では、鬼につかまえられるかもしれないというスリルを味わい、
『かわのきしのみずぐるま』では、ルールを守って遊ぶことの大切さを学びました。
ふたりが向かい合ってすわり、「ここはとうちゃんにんどころ ここはかあちゃんにんどころ ここはじいじにんどころ ここはばあばにんどころ」(にんどころというのは似ているところという意味)
と言いながら相手のおでこ、あご、左右のほっぺたをつつき、顔をなでて最後に「○○ちゃん大好き」と抱きしめるわらべ歌には心がホカホカ温かくなりました。
触れ合うことによって、愛されていること、自分の存在の大切さがわかります。
鬼になって孤独を味わうことも大切で、ひとりで心細くてもあえて先生は付き添わないほうがいいのです。ひとりになっても、そのあとすぐに仲間になれるという安心感をもって孤独を体験させることも必要です。
また、好き嫌いに関係なく、遊びの中でいろいろな人と手をつなぐことによって嫌いな人を受け入れるようになります。と教えていただきました。
わらべ歌遊びをすることによって社会性も身につくのですね。わらべ歌ってすばらしい!と思いました。そういえばわたしも小学校低学年のとき、『花いちもんめ』や『ひらいたひらいた』などやって遊んでいました。
ところで、わらべ歌の歌詞の中には日本の神話に出てくる神や坊さんが出てきます。クリスチャンである近藤先生は、最初は悩まれたそうです。
でも、それらの上にまことの神がおられるのだから気にしないで取り入れているとおっしゃっていました。お坊さんがいなければ、日本の文化はここまで発展しなかったのでしょうから。
研修会には約20人(10代から60代の男女)の教会学校教師が参加しました。腰の痛い方は一部見学していましたが、わたしは年甲斐もなく(若ぶって?)全部参加。
『芋虫ごろごろ』などハードなものもあったので、翌日は疲れと筋肉痛と腰痛で、半日寝ていました。
わらべ歌の研修会のあと教師会だったので、家に帰ったのは6時を過ぎていました。3時ごろ豪雨に見舞われましたが、帰りが遅い時間だったおかげで雨はやんでいて感謝でした。

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