生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

預けられたもの

2011-05-21 11:06:00 | お茶の水聖書学院
OBI(お茶の水聖書学院)で奉仕について学んでいます。
奉仕といえば、一般の人はボランティア活動を思い浮かべるでしょう。

わたしは、教会生活の中での奉仕を思い浮かべていました。そうではなくて、奉仕の範囲は日常生活全般にわたっていることに気づかされました。

奉仕(stewardship)とは、神が与えて下さった物を管理して行うことなのだそうです。

『奉仕は、私たちに内在する神様ご自身のご性質の表現である』
『自分に与えられた物で何ひとつ神様に与えられていない物はない』
と教えていただきました。

イエス様が語られたとえの中で、タラントのたとえがあります。
主人が、しもべにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出ました。5タラント預かった人は、それで商売をしてさらに5タラントもうけました。2タラント預かった人も2タラントもうけました。

ところが1タラント預かった人は土を掘ってお金を隠しました。
帰って来た主人は、しもべたちからそれぞれ報告を受けて、5タラントのしもべと2タラントのしもべには「よくやった。良い忠実なしもべだ・・・・」と褒めます。

ところが、1タラントのしもべには、1タラントを用いないで隠しておいたことをしかり、取り上げてしまいました。(マタイ25:14-29)

わたしは最初この箇所を読んだ時、1タラントのしもべは、お金をなくしたわけではないのにどうしてしかられたのかわかりませんでした。また、3人とも同じ額を預けなかったのはなぜだろうとも思いました。1タラントしか預けられなかったしもべは、ほかの二人より額が少ないからすねていたのでしょうか……。

でも、1タラントというのは当時の約6000日分の賃金だそうです。一日の賃金を一万円と考えると6千万円にもなります。額の大きさに驚きました。
6千万円も預けられて、少ないなんて言えないですね。

わたしたちは神様からタラント(才能)を預けられているのです。神様は、それをご自身の栄光のために用いてほしいと願って託されたのです。少ししかタラントがないから何もできないなんて言えないですね。

わたしに今与えられているお金や時間や健康。これらも神様から預けられたものですから無駄にできないなあと思いました。


一昨日、久々にわたしのHP生かされて…土筆文香(詩の部屋)を更新しました。ごらんください。



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