goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

阪田寛夫さんのこと

2011-05-18 16:58:09 | その他
昨日の朝日新聞に童謡「サッちゃん」の作詞者阪田寛夫さんの全詩集刊行の記事が載っていました。
詩集には阪田さんの書かれた1087篇の詩が掲載されているそうです。その中の一編が紹介されていました。



木の葉聖書

神さん
なんでおれひとり
いじめられてばっかり
おらんならんのか
と、悲しむ者は
しあわせや
木の葉が一枚
おまえの肩にとまっても
泣くほどうれしく
なるやろが
ほんまにわしは
きみらに告げる
わし一枚が
風に吹かれて落ちるのも
じぶんかってに
ひらひらするのやないわいな
とこ
とんやれな


この詩を読んで聖書マタイ5章3-4を思い出しました。
イエス・キリストの言葉で、山上の垂訓といわれている箇所です。


心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。


心が貧しいというのは、自分の中に自慢できるものが何もないと思っている人のことです。
悲しんでいる人というのは、自分の罪に気づいて悲しんでいる人のことです。
どうしてそのような人たちが幸いなのでしょうか……。

『木の葉が一枚、おまえの肩にとまっても泣くほどうれしくなるやろが』とあるように、心の貧しい人、悲しんでいる人は、ほんのちょっといいことがあったり、誰かの温かさに触れたりしたとき、とても嬉しく感じるのです。

わたしはいつも悲んでいる子どもだったので、よくわかります。学校でいじめられ、さんざんな目にあって涙をこらえながらの帰り道、友人がポンと肩に手を触れてくれただけで嬉しくて涙が出てしまうのでした。

さらに阪田さんの詩には、木の葉がいちまいひらひらするのも、自分勝手にしているのではないと書かれています。木の葉いちまいの動きにも神様の意志が働いていて、悲しんでいる子の肩の上に落としてくれたという意味ではないかと思いました。

阪田寛夫さんはどういう方だったのでしょう。それは最近出版された「歌人たちの遺産」(文芸社)池田勇人著に書かれていました。

14歳のときキリスト教の洗礼を受けたそうです。
父親は新聞インク製造業をしつつ教会幼稚園の園長をされていました。家は熱心なクリスチャンホームで音楽にあふれていました。母はオルガニスト・作曲家である大中寅二の姉だそうです。

「サッちゃん」のほか「マーチング・マーチ」「歌えバンバン」「やきいもグーチ―パー」「ねこふんじゃった」など多数作詞されています
童謡だけでなく、小説「土の器」では芥川賞受賞されています。

2005年に召されていますが、2002年のクリスチャン・ペンクラブの50周年記念会に来て下さるかもしれなかったと伺って、お会いしたかったなあ……と残念に思いました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。







拍手ボタンです

web拍手