生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

家畜小屋

2010-12-20 10:46:01 | 教会
昨日はクリスマス礼拝でした。クリスマスオラトリオの合奏、合唱に心震えました。
メッセージに慰めを受けました。
メッセージの一部の紹介と、感じたことを書かせていただきます。(茶色字はわたしの感想です)


クリスマスは、約2000年前に生まれたイエス・キリストの誕生を祝うものですが、救い主であるイエス・キリストのことは、誕生の700年も前から預言されていました。
イザヤ書にはイエス・キリストを指し示す預言がたくさん書かれています。61章1-3には次のように書かれています。


神である主の霊が、わたしの上にある。
主はわたしに油をそそぎ、
貧しい者に良い知らせを伝え、
心の傷ついた者をいやすために、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
すべての悲しむものを慰め、
灰の代わりに頭の飾りを、
悲しみの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせるためである。
彼らは義の樫の木、
栄光を現す主の植木と呼ばれよう。

イザヤ61:1-3

救い主の中に癒し、解放、自由、慰め、喜び、賛美があると約束しています。

キリストが誕生してから2000年余りの間に世界中で何度もクリスマスが祝われています。何回祝われたか?・・・どこでか?・・・どれくらいの人が祝ったのか?・・・そのようなことは重要なことではありません。
大切なことは救い主がわたしの心に誕生することです。

聖書には次のように書かれています。

私たちの見たこと、聞いたことをあなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ1:3)


「神との交わりとは、福音書に示されているイエスの言葉を通して主イエスの人格に触れること。心に感動を覚えること。また、神の声を聞いてわたしが神に語りかけること」
と聞いて、今まで心に感動を覚えることがたくさんあったことを思い巡らしました。

聖書を読んでいて、はっと胸を突かれたこと。聖書の学びをしていて、目が開かれる思いになったこと。祈っていて神さまの臨在に触れ、感動で涙を流したこと。
早朝のデボーションでは、神さまと一対一で対話しているような静かで感謝と感動に満ちた時間が持てたことなど・・・。

イエス様の人格に触れて喜びあふれます。と、同時に罪深い自分の姿を思うとき、怖れます。
こんなけがれたわたしがこんなに聖(きよ)いイエス様と、交わりを持つことができるのだろうと……。



わたしのゆがんだ心は悪臭を放っています。悪臭を放つ家畜小屋のようです。

「救い主が家畜小屋で誕生したのは、どんなに悪臭を放っていても主イエスと交わりを持つことができるという意味です」と語られるのを聞いて、涙があふれました。

わたしは先週「救い主が家畜小屋で誕生した理由は、どんなに貧しい人のところにもイエス様が来て下さるという意味です」と教会学校で話しましたが、それだけではなかったのです。
わたしのように罪深くて悪臭を放つ者のところにも来て下さったイエス様。心から感謝します。


これから都内へ出かけます。


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