今日は家庭集会クリスマス会でした。明後日はCSクリスマス会、その翌日はクリスマス礼拝。
クリスマスの行事が続いていますが、このところ死への備えについて思い巡らしています。
突然、死の宣告を受けたら、どんな心境になるでしょう。
自分の人生は何だったんだろう? と思うでしょうか。
それとも、なすべきことすべてやったという充足感にあふれるでしょうか。
あるいは、まだこころざし半ばなのに・・・と悔しい思いを抱くでしょうか。
人が何を目的に生きるか、また何に価値を置いて生きるかで決まってくると思います。
出世すること、お金持ちになること、ノーベル賞などの栄誉を与えられること、有名になることなどが生きる目的だとしたら、それがかなえられても、死ぬときは自分の人生は何だったんだろう? とむなしさを感じるような気がします。詩篇71篇には次のように書かれています。
私は生まれたときから、
あなたにいだかれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。
私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。
あなたが、私の力強い避け所だからです。
私の口には一日中、あなたの賛美と、
あなたの光栄が満ちています。
この詩編の作者は、神さまと共に歩む人生でした。この人のように常に神への賛美と光栄が満ちる生き方をしていれば、突然死が訪れたとしても平安のうちに召されるような気がします。
教会で水曜に葬儀に関する学びをしています。
昨日「自分の葬儀に備えることは遺された者に対する最後の『愛の配慮』です」と、【葬儀に対する要望】が配られました。
病気で余命を知らされる場合はまだいいのですが、予想もしなかった突然の召天の場合、遺された者は困惑し、心に深い傷を負います。
でも、遺言や葬儀に対する要望書がのこされていれば、故人の意向に沿った葬儀をすることができ、慰めになります。
葬儀に対する要望には、
葬儀式場の場所。祭壇の希望。好きな聖句。好きな讃美歌。聖歌。その他の音楽。
思い出を語っていただく方の名。遺族に慰めを語っていただく方の名。
納骨に関する希望。
略歴。仲間に残したい言葉、家族に伝えたい言葉。
など書く欄があって、それに自筆で書いてコピーをとり、一部は教会に提出。コピーは自宅に置いておきます。
わたしはだいぶ前に提出し、書き直してもう一度提出しています。でも、法的効力はありませんから、これで安心というわけにはいきません。
もちろん葬儀は教会でしていただくことを希望していますが、まだ主人の了解を得ていません。
主人より先に召されたら、仏式で葬儀をされてしまう可能性があります。了解が得られるように祈りつつ、いつ話そうかと思案しています。
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クリスマスの行事が続いていますが、このところ死への備えについて思い巡らしています。
突然、死の宣告を受けたら、どんな心境になるでしょう。
自分の人生は何だったんだろう? と思うでしょうか。
それとも、なすべきことすべてやったという充足感にあふれるでしょうか。
あるいは、まだこころざし半ばなのに・・・と悔しい思いを抱くでしょうか。
人が何を目的に生きるか、また何に価値を置いて生きるかで決まってくると思います。
出世すること、お金持ちになること、ノーベル賞などの栄誉を与えられること、有名になることなどが生きる目的だとしたら、それがかなえられても、死ぬときは自分の人生は何だったんだろう? とむなしさを感じるような気がします。詩篇71篇には次のように書かれています。
私は生まれたときから、
あなたにいだかれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。
私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。
あなたが、私の力強い避け所だからです。
私の口には一日中、あなたの賛美と、
あなたの光栄が満ちています。
この詩編の作者は、神さまと共に歩む人生でした。この人のように常に神への賛美と光栄が満ちる生き方をしていれば、突然死が訪れたとしても平安のうちに召されるような気がします。
教会で水曜に葬儀に関する学びをしています。
昨日「自分の葬儀に備えることは遺された者に対する最後の『愛の配慮』です」と、【葬儀に対する要望】が配られました。
病気で余命を知らされる場合はまだいいのですが、予想もしなかった突然の召天の場合、遺された者は困惑し、心に深い傷を負います。
でも、遺言や葬儀に対する要望書がのこされていれば、故人の意向に沿った葬儀をすることができ、慰めになります。
葬儀に対する要望には、
葬儀式場の場所。祭壇の希望。好きな聖句。好きな讃美歌。聖歌。その他の音楽。
思い出を語っていただく方の名。遺族に慰めを語っていただく方の名。
納骨に関する希望。
略歴。仲間に残したい言葉、家族に伝えたい言葉。
など書く欄があって、それに自筆で書いてコピーをとり、一部は教会に提出。コピーは自宅に置いておきます。
わたしはだいぶ前に提出し、書き直してもう一度提出しています。でも、法的効力はありませんから、これで安心というわけにはいきません。
もちろん葬儀は教会でしていただくことを希望していますが、まだ主人の了解を得ていません。
主人より先に召されたら、仏式で葬儀をされてしまう可能性があります。了解が得られるように祈りつつ、いつ話そうかと思案しています。

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