生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「死ぬという大切な仕事」を読んで

2010-12-02 20:37:58 | 読書
一昨日は親戚の葬儀があって千葉まで行ってきました。葬儀に参列するときいつも思うことは、(当たり前のことですが)人間は必ず死ぬのだということです。

死に方、死にざま、死ぬ時期は自分では決められません。人の死を間近に見ると厳粛な思いにさせられます。

ちょうどキリスト教書店で「死ぬという大切な仕事」(三浦光世著・光文社)
を購入したところだったので、持って行きました。往復6時間の車中で一冊読んでしまいました。

三浦光世さんは三浦綾子さんの御主人です。奇しくも今年8月に三浦綾子文学記念館でお目にかかりました。


三浦綾子さんが晩年、「わたしにはまだ死ぬという大切な仕事がある」と言われたことは知っていました。

三浦綾子さんの本を読んで信仰をもつようになったわたしですが、綾子さんがどのように大切な仕事をなさったか・・・というより、神さまが綾子さんの死を通してどのように働いて下さったかをこの本を読むまで知りませんでした。

綾子さんが食事中、気管閉塞を起こして心肺停止になりましたが、それから38日も意識不明の状態が続いたそうです。
心肺停止になってからそんなに長く生きるのは珍しいことのようです。医師もその生命力に驚いて「綾子さんは全治はしなかったが、まさに病気に勝った」と言うに至ったそうです。

新聞には『三浦綾子重篤』という記事が載りました。報道後、三浦綾子さんの本が飛ぶように売れたそうです。

綾子さんはノートにメモや遺言を残すこともなかったといいます。
「意識不明になる何日も前から自分の死にざまも用いられるように祈っていたのであろう」
「彼女はいっさいを神に委ね、すべてをよいようにお用い下さるよう、祈っていたのだ。入院時だけでなく、その祈りは何年も前からなされていたと思う」
と光世氏は書いておられます。

綾子さんの祈りはきかれたのです。召される前、意識不明が38日続いたことも神さまの栄光の現れだったのですね。

綾子さんが数々の病気をし、病苦を忍びぬいて読者の幸せを祈りながら執筆を続けたこと。
召された後も著書を通して救われる人が起こされていること。光世さんの講演や執筆活動も用いられていること。神さまが働いておられることを確かに感じます。

この本にはそのほか、三浦光世、綾子さんが生活の中で出会った死、塩狩峠の長野政雄さんの死、榎本保郎師の死、聖書の中の死などについてのエッセイが綴られています。



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