昨日は、アドベント第2週目の礼拝でした。
メッセージはイエス様の母マリヤの夫、ヨセフにスポットを当てて語られました。(青字が牧師先生の語られた内容です)
イエス様が生まれる700年も前から、救い主はダビデの家系に生まれると預言されていました。
マタイの1:1にはイエス・キリストの系図が書かれています。
ヨセフはダビデから約1000年後に生まれた人ですが、なぜヨセフのときに救い主が誕生したのでしょう?
マタイの福音書1章には、マリヤがヨセフとの婚約期間に身重になったことが書かれています。
当時のイスラエルでは、婚約期間は一年間で、夫婦と同じようにみなされるそうです。(マタイ1:19には、ヨセフのことが夫と書かれている)
ふたりがいっしょにならないうちにマリヤが身ごもったことを知り、ヨセフはマリヤを内密に去らせようとします。
当時は、婚約中であっても別れるときは離婚としての手続きをしたそうです。
その手続きは2つの方法があって、1つは、離婚状を法廷に持ち出す。つまり、離婚を公にすることで、そのことによって女性は社会からのけ者にされます。
2つ目は、離婚状を2~3人の証人に示し、ひそかに去らせる方法です。
ところがヨセフはどちらの方法もとりませんでした。
聖書には「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。(マタイ1:19)」
と書かれています。
ヨセフは証人をたてずに別れる決心をしたのです。証人をたてないと、多額の花嫁料を返してもらえないばかりか、妻に逃げられた夫としてみられ、ヨセフはその後結婚できなくなるかもしれないというのに……。
彼が正しい人(律法を守る人という意味)だったからそのようにしたのではなく、正しい人だったけれども、マリヤのためにそうしたのです。
婚約者が他の人の子を身ごもったと聞いたら、裏切られたと思い腹を立てる人が多いでしょう。さらし者にしてやろうという気持ちになって当然なのに、ヨセフはそうしませんでした。ヨセフの愛の深さに感動しました。
そんなヨセフだからこそ、神さまは救い主を委ねられたのですね。
御使いがヨセフのところに現れて、マリヤは聖霊によって身ごもったことが伝えられ、彼はそれを受け止めます。ヨセフの信仰者としての姿が伺えます。
神さまは、ヨセフを信頼して歴史の中で最も大切なこと・・・救い主を委ねる・・・をされたのです。
ヨセフは、与えられた自分の役目を全うする覚悟を持った人物だったのです。
信仰とは、わたしたちが神を信頼することですが、神様はわたしたちのことも信頼してくださっていると聞いてはっとしました。
神さまは、わたしのことを信頼して召し出してくださっている。信頼に値する者ではないのに……。
喜びとともに責任も感じます。信頼にこたえられる者になれるよう祈りました。
*写真は礼拝で紹介されたジョルジュ・ド・ラ・トゥールの
「大工ヨセフ」です。
幼子イエスがろうそくを手に持っています。大工仕事をしているヨセフは優しくイエスを見守っています。
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マタイの1:1にはイエス・キリストの系図が書かれています。
ヨセフはダビデから約1000年後に生まれた人ですが、なぜヨセフのときに救い主が誕生したのでしょう?
マタイの福音書1章には、マリヤがヨセフとの婚約期間に身重になったことが書かれています。
当時のイスラエルでは、婚約期間は一年間で、夫婦と同じようにみなされるそうです。(マタイ1:19には、ヨセフのことが夫と書かれている)
ふたりがいっしょにならないうちにマリヤが身ごもったことを知り、ヨセフはマリヤを内密に去らせようとします。
当時は、婚約中であっても別れるときは離婚としての手続きをしたそうです。
その手続きは2つの方法があって、1つは、離婚状を法廷に持ち出す。つまり、離婚を公にすることで、そのことによって女性は社会からのけ者にされます。
2つ目は、離婚状を2~3人の証人に示し、ひそかに去らせる方法です。
ところがヨセフはどちらの方法もとりませんでした。
聖書には「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。(マタイ1:19)」
と書かれています。
ヨセフは証人をたてずに別れる決心をしたのです。証人をたてないと、多額の花嫁料を返してもらえないばかりか、妻に逃げられた夫としてみられ、ヨセフはその後結婚できなくなるかもしれないというのに……。
彼が正しい人(律法を守る人という意味)だったからそのようにしたのではなく、正しい人だったけれども、マリヤのためにそうしたのです。
婚約者が他の人の子を身ごもったと聞いたら、裏切られたと思い腹を立てる人が多いでしょう。さらし者にしてやろうという気持ちになって当然なのに、ヨセフはそうしませんでした。ヨセフの愛の深さに感動しました。
そんなヨセフだからこそ、神さまは救い主を委ねられたのですね。
御使いがヨセフのところに現れて、マリヤは聖霊によって身ごもったことが伝えられ、彼はそれを受け止めます。ヨセフの信仰者としての姿が伺えます。
神さまは、ヨセフを信頼して歴史の中で最も大切なこと・・・救い主を委ねる・・・をされたのです。
ヨセフは、与えられた自分の役目を全うする覚悟を持った人物だったのです。
信仰とは、わたしたちが神を信頼することですが、神様はわたしたちのことも信頼してくださっていると聞いてはっとしました。
神さまは、わたしのことを信頼して召し出してくださっている。信頼に値する者ではないのに……。
喜びとともに責任も感じます。信頼にこたえられる者になれるよう祈りました。
*写真は礼拝で紹介されたジョルジュ・ド・ラ・トゥールの
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