生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心のフィルムに(その1)

2009-10-21 17:43:25 | エッセイ

今月18日は3年前に召された父の命日でした。父の召天のことを誰かにお伝えしたくて書いたものが、ペンライト賞佳作作品として2008年1月号の「百万人の福音」に掲載されたので、それを連載します。


心のフィルムに


82歳の父が末期癌で、あと数ヶ月の命だと告げられたのは2006年の2月でした。その前年の秋、前立腺肥大症で手術を受け、検査の結果、前立腺癌であることがわかりました。でも、その時は放射線を当てれば治るのだと楽観的に考えていました。

ところが膀胱癌から前立腺、肺へと転移していたことがわかり、放射線治療も打ち切られてしまいました。神さまはなぜ愛する父を末期癌の苦しみに合わせるのだろうと思いました。

その2年前にわたしは乳癌の手術を受けています。術後放射線治療を受け、その後順調に回復しましたが、再発転移をひそかに恐れていました。キリストを信じているので、死ぬことはちっとも恐ろしくありません。でも、末期癌になったらどれほど苦しむのだろうか……と考えると、恐ろしいのでした。

喘息のひどい発作で入院したことのあるわたしは、呼吸困難の壮絶な苦しみを味わいました。もし、癌が転移するのなら肺にだけは転移しないでと願っていたほどです。

ところが父の癌は肺に転移していて、抗ガン剤治療もできないというのです。目の前が真っ暗になりました。

「やがて呼吸困難になり、水槽から出された魚が口をパクパクさせるように苦しむことになります。もう治療の手だてがありません。緩和ケアーを行うホスピスを予約しておいた方がいいですよ」

医師の言葉を聞いて、母と妹とわたしは手をとりあって泣きました。
ようやく気を取り直してお祈りをしていると、「神様がいるのならどうしてお父さんがこんな病気になるの?」と言われ、何も言えなくなってしまいました。両親と妹は信仰をもっていないのです。

それから、父に内緒でホスピスを探すことにしました。自宅で看取ることができればいちばんいいのですが、母は体力的に無理だと言いました。父と母は都内に2人で暮らしており、わたしは実家まで電車で3時間近くかかる土浦に住んでいます。実家の近くに住む妹が頻繁に訪れていますが、仕事があるのでつききりで介護することはできません。

3月に妹とホスピスの見学に行き、キリスト教のホスピス2箇所に予約を入れました。ホスピスは想像していたより明るく、温かい雰囲気でした。
でも、ここでは緩和ケアーを行うだけで、治療はしないのです。そして、そのことを本人が納得していないと入院できないと聞いて不安になりました。果たして父は納得するでしょうか。説明すれば、助からないことを知って絶望してしまうのではないでしょうか。また、ホスピスに入るのをいやがるのでは……と危惧しながら日が過ぎていきました。

父は癌であることを医師から告げられていましたが、余命わずかだということは伝えられていません。
放射線治療をしているときは、副作用で腸の調子が悪くなり、食欲がなかったのですが、治療をやめると以前のように食欲が出てきました。病院からもらったモルヒネを飲んで痛みを調節しながら自宅で普段通りの生活を続けていました。

「お父さんといい思い出を作りたいから温泉旅行に行きましょう」という妹の提案で、4月の初めに両親と妹一家、娘の六人で箱根に行きました。そのとき父は体調がよく、旅館で出された食事を全部たいらげたので一同はびっくりしました。あと数か月の命とはとても思えません。癌が奇跡的に治ってしまったのではないかと期待しました。

箱根で生まれて初めて父から手紙をもらいました。この旅行の感謝と、母のことを頼むというようなことが書かれていました。

『今までにこれといったことは何もしてあげられなかったこと、申し訳なく思っています』というところを読んで涙をこらえるのに必死でした。

父に残された時間は限られています。その間になんとかキリストを伝えて父が洗礼を受けられたらどんなにいいだろうと思い、祈りました。

旅行から戻ってから、こんどはわたしが父に手紙を書きました。

『神戸に住んでいた頃、お父さんは毎日朝早くから夜遅くまで働いて、休みは週に一度しかなくて大変だったのですね。 

お父さんからは、部屋が汚いとよくしかられましたね。お父さんが「整理整頓」と書いた紙を壁にはってくれたのに、ちっとも片づけようとしなかったですね。
反抗期の長かったわたしは、よく逆らいました。お父さんにしかられて、くやしくて自分の足に爪をたてて傷跡が残るほど強くひっかいたことがありました。そのとき、お父さんは「根性がある」と誉めてくれましたね。誉められるようなことでは決してなかったのですが……。

 夜中に喘息の発作を起こして病院にいき、帰り道で坂が登れなくなってしまったときおんぶしてくれたお父さんの背中を今でも覚えています。いくら細身だといえ、中学生のわたしを背負って坂を登るのは大変だったでしょうね。有り難う。

                 
 つづく

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