先日の家庭集会の学びで考えさせられたことがまだありました。
『祈りの中で「わたしの願い」と「父のみこころ」が占める割合は、どの程度でしょうか』という質問がありました。
かつては、何が何でも自分の願いどおりになることを神様に望み、祈っていました。
今は、神様に委ねられるようになってきたと思っていたのですが、そうでもないことに気づかされました。
昨年の暮れ、母と衝突してしまいました。
母は土浦の老人ホームへの入所を決意し、3月には入所すると言ったので、ホームへ足を運んで説明を受けたり、提携病院を調べたりしていました。
実家へ泊ったときは、押し入れや物置など少しずつ片づけていました。ところが、母が急に5月の連休が明けてから入所すると言い出したのです。
理由を尋ねると、「4月末に友人たちと旅行に行くから」というのです。
「旅行ならホームに入ってからも行けるでしょう。せっかくいい部屋が空いているのに……なくなっちゃうよ」と言うと、「そのときに空いている部屋ならどこでもいいから。空いてなかったら空くまで延ばせばいい」と答え、譲りません。
実家との往復で疲れがピークに達していました。3月までなら持ちこたえられると思っていたのに、2か月も延びてしまうなんて……。
悲しくなって二階に駆け上がって泣きました。
「母が考え直してくれるように」と一生懸命祈りました。
祈っているうちに自己中心の祈りだと気づきました。自分の都合で3月にと思っていたのでした。
50年近く住んでいた家を離れ、遠い土地の老人ホームに入る決心をすることだけでも大変なことです。何よりも親しい友人たちと離れ、慣れ親しんだ土地を離れるのは辛いことでしょう。一大決心をして土浦へ行くと言ったけれど、時期はもうすこし後でもいいと思うのも無理のないこと。
そう思えてきたのですが、母の病気のことが心配になってきました。母は手術をしたのですが、癌が広がっていて、とりきれなかったのです。すでに転移もしているのです。
今は調子が良いのですが、いつまた具合悪くなるかわかりません。
そう思うと、体調の良い時に入所してほしいと思います。
でも、それはわたしの思いです。この先に起こることが何一つわかっていない浅はかなわたしの願いです。
神様は、母の体の状態、わたしの体調、母のイエス様を求める気持ちなど、すべてをご存知です。神様が最善を成してくださるのだから、いちばんよい時期に入所することになるでしょう。
そのように思えたら、絶対3月でなくてはならないという思いが消え、肩の力が抜けました。
気が付くと「わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」と祈っていました。
その後、妹も交えて入所時期を話し合って、4月半ばにということで母は納得しました。
でも、母が引っ越す前にまだ困難なことがあります。
たといこの決定が覆っても、平安でいられるように
わたしの思いではなく……と改めて祈ったのです。
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『祈りの中で「わたしの願い」と「父のみこころ」が占める割合は、どの程度でしょうか』という質問がありました。
かつては、何が何でも自分の願いどおりになることを神様に望み、祈っていました。
今は、神様に委ねられるようになってきたと思っていたのですが、そうでもないことに気づかされました。
昨年の暮れ、母と衝突してしまいました。
母は土浦の老人ホームへの入所を決意し、3月には入所すると言ったので、ホームへ足を運んで説明を受けたり、提携病院を調べたりしていました。
実家へ泊ったときは、押し入れや物置など少しずつ片づけていました。ところが、母が急に5月の連休が明けてから入所すると言い出したのです。
理由を尋ねると、「4月末に友人たちと旅行に行くから」というのです。
「旅行ならホームに入ってからも行けるでしょう。せっかくいい部屋が空いているのに……なくなっちゃうよ」と言うと、「そのときに空いている部屋ならどこでもいいから。空いてなかったら空くまで延ばせばいい」と答え、譲りません。
実家との往復で疲れがピークに達していました。3月までなら持ちこたえられると思っていたのに、2か月も延びてしまうなんて……。
悲しくなって二階に駆け上がって泣きました。
「母が考え直してくれるように」と一生懸命祈りました。
祈っているうちに自己中心の祈りだと気づきました。自分の都合で3月にと思っていたのでした。
50年近く住んでいた家を離れ、遠い土地の老人ホームに入る決心をすることだけでも大変なことです。何よりも親しい友人たちと離れ、慣れ親しんだ土地を離れるのは辛いことでしょう。一大決心をして土浦へ行くと言ったけれど、時期はもうすこし後でもいいと思うのも無理のないこと。
そう思えてきたのですが、母の病気のことが心配になってきました。母は手術をしたのですが、癌が広がっていて、とりきれなかったのです。すでに転移もしているのです。
今は調子が良いのですが、いつまた具合悪くなるかわかりません。
そう思うと、体調の良い時に入所してほしいと思います。
でも、それはわたしの思いです。この先に起こることが何一つわかっていない浅はかなわたしの願いです。
神様は、母の体の状態、わたしの体調、母のイエス様を求める気持ちなど、すべてをご存知です。神様が最善を成してくださるのだから、いちばんよい時期に入所することになるでしょう。
そのように思えたら、絶対3月でなくてはならないという思いが消え、肩の力が抜けました。
気が付くと「わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」と祈っていました。
その後、妹も交えて入所時期を話し合って、4月半ばにということで母は納得しました。
でも、母が引っ越す前にまだ困難なことがあります。
たといこの決定が覆っても、平安でいられるように
わたしの思いではなく……と改めて祈ったのです。
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私も何回も何回も同じような状況に立たされたからです。
でも、気質の違いでしょうか。
私は、文香さんのように泣くのではなく、怒りに震えてしまうのです。
お母様を愛する文香さんの思いが伝わってじいんとしました。
でも、祈りが変えられていく過程の部分は、本当に全く同じなのです。
主は母のこと全てをご存知で、母の思いも将来の行く末も状況も
全てをご存知なので、私の思い通りにならなくても
結局最後は全てが最善に整えられるって信じて委ねて祈り終わりに導かれます。
ずっとずっと、文香さんの献身振りに心打たれつつも心配でした。
4月まで、体調がなんとか守られますように。むりしないでくださいね。
すべてをご存知な主、最善に導いてくださる主におまかせできる幸いを改めて感じました。
まこさんの体調も守られますように。