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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

2回目の注射

2006-05-25 17:26:16 | 乳癌
結婚記念日(その2)は後日書きます。

病院へ行ってきました。1か月前、初めて腹部注射(リュープリン)を打ったのですが(4/27の記事に書いています)、その副作用を調べるため血液検査をしました。検査の結果、特に問題なしということで、これからは3か月に1度リュープリンを打つことになりました。

わたしの乳癌は、ホルモンレセプターがプラスだったので、術後、フルツロン(抗がん剤)とともに、ノルバテックス[ホルモン剤]を飲んでいました。ところが、ノルバテックスは女性ホルモンを抑える薬なのですが、子宮筋腫を成長させてしまうという副作用があり、もともと3つも筋腫をかかえていたので、3つとも大きくなってきて、限界に近い状態になっていました。

もし、リュープリンで副作用が出てしまえば、子宮筋腫の手術を受けなくてはならないと言われていたので、本当によかったです。主に感謝!!
値段が高いので経済的には大変ですが、抗がん剤を飲まなくて良くなったので、毎月かかる医療費は以前とほとんど変わりなしです。
 
手術となれば、わたしは喘息があるので、色々大変なのです。回復にも時間がかかるほうだし……。乳癌の手術を受けたときも、3週間も入院しました。子宮筋腫の手術を受けるとなれば、1か月くらい入院することになるかもしれません。
 
 リュープリンが大丈夫だということがわかったので、今日は3か月効くというものを打ってもらいました。この前は効き目が1か月のものだったので、注射を打った後、体調に変化はなかったのですが、今回はとても体がだるくなり(風邪もひいているので、そのせいもあるのかもしれませんが)、自転車で帰る途中で気分が悪くなってしまいました。おなかが痛く、力も入りません。なんとか家にたどりついて、2時間ほど横になると、少し元気になりました。

 風邪のほうは、たいしたことないのですが、のどが赤いので、大げさに言って薬を出してもらいました。
 29、30日に泊りがけで出かける予定なので、それまでに良くなるようにと祈るばかりです。
 
 いままでは、外科(乳腺外来)、内科と婦人科同じ日にしてもらっていたのですが、今回は日にちが合わなくて、来月早々には内科、中ごろには婦人科の予約が入っています。病院へいくと、気が重くなるのですが、想像力を使って楽しいことを考えるようにしています。待っている時間にたくさん読書ができるので、それも楽しみです。次は何の本を持っていきましょうか。


バンザーイ!!

2006-04-27 18:45:35 | 乳癌
 
今日病院へ行って来ました。前回の血液検査の結果が出ました。前回、腫瘍マーカーの値が上がっており、再発転移の可能性が高いといわれていました。値か下がっていなければ精密検査といわれていたので、覚悟を決めて食事抜きでいきました。午後1時に予約なので12時半に診察券を出したのですが、呼ばれたのは3時前。
びくびくして診察室に入ると、「腫瘍マーカー値が下がっているので検査はしなくていいです」と言われ、心の中で「バンザーイ!!」と叫びました。
 
 この2週間、つらかったです。結果が出るまでは思い煩うまいと決心していたのにもろくも崩れ去り、自分の弱さを改めて知らされました。転移のことが頭から離れず、ネットや本で調べました。そして、知れば知るほど益々不安になっていきました。調べなくてもいいのにとことん調べたくなるのは、わたしの性格からきています。知らない方が気が楽だったのに……。
 
 ノルバテックスの副作用で3つの子宮筋腫が大きくなり、子宮内膜も厚くなっているので、それを押さえるために腹部にリュープリンというホルモン注射をすることになりました。おなかに注射なんて、痛いだろうなあと目を閉じて耐えられるようにと祈っていたら、チクッとしただけであっという間に終わりました。これで子宮筋腫の手術を受けなくてすみそうです。
この注射を打つと、更年期症状がさらに進む、やる気がなくなり、鬱状態になる、肥満などの副作用があるそうです。でも、わたしは心の中で言いました。
「リュープリンよ、やりたいことがいっぱいあって、やる気に満ちているわたしから、やる気を奪うことはできないからね!」

 定期的に注射を受けながらノルバテックスを飲んでいれば、抗ガン剤は飲まなくてもいいということで嬉しくなりました。もう、白血球値が低いことで感染症におびえなくてよくなるのです。

 乳癌手術後の治療法は日々変わってきているそうです。わたしのような症状の人は、2年前までは抗ガン剤とノルバテックスを飲むことがベストだったけれど、今は抗ガン剤を飲まない方向になっていると聞きました。現在の医学では完全に癌をやっつけることができないので、試行錯誤の段階なのでしょう。リンパ転移4つ以上の人は10年生存確率2%というネットの記事を見てぞっとしましたが、この間は30%と書かれている記事を見つけました。そのうちに生存確率90%以上になるかもしれません。
 
 今回転移していなかったからといえ、これからも治療は続き、検査結果を聞くたびにびくびくし、薬の副作用と闘っていかなければなりません。経済的にも大変です。乳癌は5年再発しなくても安心できないというので、先は長いです。
でも、わたしは信じます。神さまが最善をなして下さることを。

 今日の結果をハレルヤ!と喜びましょう。大勢の方に心配かけてしまい、申し訳なく思います。あつきお祈りを心から感謝します。ありがとうございました。


こどものように

2006-04-24 12:34:17 | 乳癌

        こどものように

   泣きたいときは 泣けばいい
   わたしも一緒に泣くから
   流した涙は どこへいくの?
   それは、神さまの皮袋の中へ
   
   苦しいときは 叫べばいい
   わたしも一緒に叫ぶから
   叫んだ声は どこへいくの?
   それは、神さまの耳の中へ



 礼拝のとき、よく涙を流すと書きました。悲しくてではなく、主の臨在に触れ、感動して泣くのです。最近とくに涙もろいわたしですが、人前で自分の抱えている問題のことで泣いたことは、ほとんどありませんでした。神さまに向かって訴え、ひとりで泣くことはありましたが、両親にはもちろん、牧師先生の前でも、夫の前でも、友人の前でも悲しみの涙を見せたことがなかったのです。

ところが、昨日礼拝の後で、親しくさせていただいているY姉(教会では、同じ主を信じる者を兄弟姉妹といいます)とお話ししました。Y姉は信仰の先輩で、祈りの友でもあります。色々な話しをしたあと、この前病院で言われたことを話して祈っていただこうと思い、「お祈りして欲しいことがあるんです」というと、Y姉が泣きそうな顔をして、わたしの手を握って肩を抱き、「どうしたの?」と暖かい言葉をかけて下さいました。

そのとき、突然堰がくずれたように涙があふれ出し、何も言えなくなってしまいました。自分でも予想もしなかったことでした。わたしがしゃべれるようになるまでY姉は黙って待っていて下さいました。

しばらくしてやっとのことで、「まだ、わからないことなんです。だから心配しても仕方のないことなんですが……」と再発転移の不安を泣きながら話すと、Y姉は涙を流し、心から祈って下さいました。なんだか、心にたまっていたものが流れ落ちてすっきりした気持ちになりました。共に泣いて下さる友人がいるということは、何と素晴らしいことでしょう。

いままで人前で泣きたいときに泣かず、つらいときにつらいと言わなかったのは、心に鎧いを着ていたからでしょうか? 片意地張っていたのでしょうか?……とても弱い者です。 

いままでこのブログでも、癌になってからのあかしをたくさん書いてきました。そのあかし文章と今日の文章が矛盾していると思われる方もおられるかもしれません。でも、どちらも真実なのです。決して見栄を張って思ってもいないことを書いてきたわけではありません。心の中をそのまま書いてきました。

神さまの力によって強められ、不安がなくなるようなときもあります。でも、突然不安の波に襲われ、足をすくわれるようなときもあります。

なぜY姉の前で素直に泣けたかというと、きっとその日の礼拝のメッセージを聴いたからだと思います。どういうメッセージだったかは、後日書きます。

受難日

2006-04-14 13:45:48 | 乳癌
 今日はキリストの受難日です。受難日にふさわしいような気持ちでいます。 

 昨日病院へ行ってきました。今まで担当して下さっていた外科の先生が退職されたので、初めて乳腺外来の先生にみていただきました。薬の副作用のことなどお聞きしたいことがたくさんありました。乳癌の多くの症例をみてこられた医師だと聞いていたので期待していました。

 診察室に入った途端、腫瘍マーカーの数値が上がっているので血液検査をして下さいといわれて動揺し、聞きたいと思っていたことの半分も聞けずに中央検査室へ行きました。
 
 腫瘍マーカーというのは、悪性腫瘍の動態を把握するもので、癌が再発した場合、数値が上がります。でも、たまに再発転移しても数値が変わらないこともあり、また数値が上がっていても再発転移ではないこともあります。
 
 検査は今年の1月にやっており、結果を聞いたときは、何の異常もないと言われていたのに何故?と思って尋ねると「正常範囲内だから何も言われなかったのでしょう。でも、少しずつ上がっています。あなたの場合は4つもリンパ転移があり、年齢的にも危ないので念のために再度血液検査をして、下がっていないようなら、次回精密検査を受けて下さい」と言われました。

 子宮筋腫のことも、ノルバテックスを飲み続けているとさらに大きくなるので、薬はやめる方向で、子宮と卵巣切除手術か2か月に一度の腹部注射を2年間することになると言われました。注射は一回2万円もするそうです。目の前が真っ暗になりました。
 
 それより、再発転移の可能性があるということがショックでした。精密検査を受けて、いくら早期に発見できても、転移癌を抑えられないことが多いと聞きます。絵門ゆうこさんのようにいくら前向きで、気力のある人でも癌には勝てず、亡くなってしまうのだと思うとつらいです。絵門ゆうこさんはわたしと同じ年でした。(49歳)
先日父のためにホスピス見学にいきましたが、先にわたしが入ることになるかもしれないのだと考えてしまいました。

 でも、死ぬ時期は、わたしが生まれる前から神さまが定めていてくださっているので、ジタバタしても仕方ないのです。昨日、キリストを信じて死んだ者は、キリストとともにいるという記事を書いたことは、わたしにとって大きな慰めになりました。

ことばの力

2006-03-21 10:09:44 | 乳癌
 
 昨日「ミルカとティナ」の連載が終わりました。長い物語を最後まで読んで下さった方々、コメントを下さった方々に心から感謝します。

最近、ことばの持つ力について考えています。英語ならアルファベット、日本語なら50音の組み合わせにすぎないことばが、人を殺したり生かしたりする力を持つことに不思議を感じています。

 クリスチャン・ペンクラブでは、文章を書くことを「ことばを紡ぐ」という表現を使います。「紡ぐ」とは綿や繭から糸をつくることです。素材から紡いでできた糸が布になり、布が服やテーブルクロスなど人間に役に立つ物となっていきます。「ことば」も、もとは素材としての文字であり、それを組み合わせることによって意味のあるものとなり、人の心に届いていきます。
 ことばを紡いでできた文章をブログを通して届けることができて嬉しいです。

 昨日は風の強い中、自転車をこいで病院へいってきました。昨日は婦人科だけで、外科と内科は来月です。
 赤血球の値(血色素量)が7.3だったのが、2か月近く鉄剤を飲んだおかげで倍近くの13.5に上がっていて感謝しました。(女性の正常値は10.7~14.5)

 子宮筋腫は3つとも数㎜大きくなっていましたが、医師から「この間のように大出血しなければ大丈夫」といわれました。また、相変わらず白血球値が低いのを気にしておられましたが「風邪をひかなければ大丈夫」といわれました。

 「大丈夫」という言葉を聞いてはじめは安心したのですが、医師の言葉には条件がついています。大出血しないという保障はありませんし、風邪は、ずうっとひかないということはあり得ません。(ちっとも大丈夫じゃないじゃないの!)と、また不安の波が襲ってきました。

 そのとき、聖書の詩編121篇のことばが浮かびました。

「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。」

 神さまは無条件で大丈夫といってくださっているのだなあと思って嬉しくなりました。

 聖書の言葉を「みことば」といいます。それは、神さまのことばだからです。神さまのことばはいのちのことばです。人に生きる力を与えます。いのちのことばをいつも心に携えていたいです。


不安の波

2006-03-04 11:30:04 | 乳癌
今年2月20日に発行された日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のニュースレター15号(文は信なり)掲載されたエッセイです。書いたのは去年の12月です。


「白血球値が下がっています。感染症にかかりやすくなっているので気をつけて下さい」
乳癌の手術から2年目の検査後、医師からそういわれました。抗癌剤の副作用かもしれません。癌になる前は5千もあった値が2千になり、正常値を大きく下回っています。
 
不安の波がどっと押し寄せてきました。というのは、その半年ほど前に肺炎になったからです。幸い3週間ほどで治りましたが、白血球が少ないので、風邪をひいたらまた肺炎になってしまうかもしれない。それより、インフルエンザにかかったらどうしよう……。予防注射はしましたが、抗癌剤を飲んでいる人は効かないことが多いと注意を受けていました。

そして、もし新型インフルエンザがはやったら……。ああ、わたしはいちばんに感染して死んでしまうかもしれない……。
 
乳癌の再発転移の不安も突然津波のように襲ってきます。リンパ転移があったので、脳、肺、肝臓、骨などに再発転移する可能性が高いといわれている者です。体調のいいときは、忘れていますが、頭痛が続くと、脳腫瘍ではないか? 咳が続くと肺癌では? と心配になってきます。
 
神さまはいつもわたしに最善をしてくださることを信じていますから、たとえ再発転移が起きても大丈夫と、たいていは平安な気持ちでいられるのですが、ときたま不安の波がやってきます。
 
わたしは、不安を抱くことはいけないことだと思っていました。神さまにしっかり委ねていれば不安の波に襲われることはないはずだと。不安でたまらなくなるのは不信仰の証拠と思い、不安になるたび自分を責めていました。
しかし、教会の修養会で、「人が不安を感じるのは当たり前のことです。なぜなら神さまがそのように造られたからです」というメッセージを聞いて、救われた気持ちがしました。

「不安を抱かなければ、地震などの災害の備えもしなくなるので(多少の)不安はかえって抱いた方がいいのです。でも、不安にとらわれてはいけません」
と聞きました。

いままで不安が襲ってくると、何とかのがれようと必死にもがいていました。でも、そのメッセージを聞いて、不安になる自分を受け入れられるようになりました。

不安の波は、海の波のようです。さざ波のように小さな波のこともありますが、時には津波のように大きな波が襲いかかります。波がきたら逃げないで頭から波をかぶりましょう。力をぬいて、波にもまれて流されましょう。
深い海の底にひきずりこまれる前に神さまがしっかりつかまえてくださることを信じて。

「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。申命記31-8」


感謝なことにこの冬、インフルエンザにはかかっていません。風邪はひきましたが、すぐに病院へいって薬を飲んだので熱も出ることなく治りました。薬が効いたのは奇跡的なことです。

がんばれ、ノルバちゃん

2006-02-14 17:15:22 | 乳癌
 今日の題名をみて、トリノオリンピックのこと?と思われた方がいるかもしれませんが、違うんです。ノルバとはノルバテックスという薬の名前です。

 今日は、病院の日でした。2週間前に行った検査結果を聞く日でもあります。
内科、外科、婦人科の順で受診しました。待っている間、ちょっとドキドキしましたが、いつもより落ち着いていられました。今朝のディボーションで読んだ詩編23篇を思い出していたからかもしれません。

主はわたしの羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名(みな)のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
(詩編23編1-4)


再発転移していませんでした。血液検査の結果は、白血球も赤血球も正常値から大きくはずれており、鉄剤を毎日飲んでいるのに貧血もまだまだ改善されていませんでしたが、子宮癌検査の結果も異常なしでした。
子宮筋腫は少し様子をみましょうということでした。すぐにでも手術といわれるのかと思っていましたが、ほっとしました。

乳癌のあと、再発予防のためにホルモン剤ノルバテックスを飲んでいますが、「ノルバテックスのおかげで、大きな筋腫が3つもあるのにもかかわらず、いままで大丈夫だったのですよ」と婦人科の医師にいわれました。効き目は人によって違うそうです。
 先月は、何らかの原因でノルバテックスの効き目が低下し、大量に出血したのでひどい貧血になったけれど、これが毎月ではなく、年に一度くらいなら手術することはないでしょうと言われました。ただし、次に出血したときは、すぐに病院に行かないと危険なのだそうです。

 思わず「がんばれノルバちゃん」と心の中でいいました。ノルバテックスが頑張ってくれたら、手術しなくてすむかもしれないのです。もっとも、子宮筋腫が大きくなってきているのもノルバちゃんのおかげでなんですが……。
 でも、わたしの体の中のこと、すべてを支配している神さまが最も良いようにして下さると信じていますから心配はありませんが、どうかお祈り下さいね。

 この画像は帰り道で撮ったりんりんロードの入り口です。りんりんロードは昭和62年に廃線となった筑波鉄道の敷地を利用して作られたサイクリングロードで、土浦から筑波山入り口、真壁を経由してJR水戸線の岩瀬駅まで続いているそうです。(40.1㎞)
 貧血が治ったら、このりんりんロードを走ってみたいと思っています。希望へ続く道のような気がしてきました。


「書くこととわたし」はまだ続きますが、今日はお休みします。

み手の中で

2006-01-31 17:14:32 | 乳癌

今日は乳癌手術後の検査の日でした。癌の再発転移の有無を調べるものです。最初の一年は3か月に一度だった検査ですが、今は半年に一度行っています。血液検査と腹部、胸部の超音波(エコー)、レントゲンです。とくにつらい検査ではありません。待たされることを覚悟してさえいれば、いつもの診察の日と同じです。
検査の前に診察があり、外科へいくと、思いも寄らぬことを担当医の先生から告げられました。

「この3月で退職するので、次回からは他の先生にみてもらうことになります」
まだ30代の若い医師です。別の病院へ移られるのでしょうか? 質問する勇気もないほど動揺してしまいました。
わたしの乳癌の手術をして下さった先生です。若いけれど手術の腕は確かだという評判の医師です。これからずうっと看てもらって、もし再手術することがあれば、この先生なら安心と思っていたのに……。担当医が変わると治療の方針も変わるかもしれません。不安です。でも、そのときわたしは「これは、神さまの計らいだ」と思ったのです。

外科の担当医は白血球値が2000まで下がっても、抗ガン剤のせいではないと言って3か月間、検査もしてくれませんでした。内科の医師は抗ガン剤をやめるか変えた方がいいと言いました。また、婦人科の医師は子宮筋腫が大きくなったのはホルモン剤のせいだと言いましたが、外科医はそのせいではないと主張されました。
でも、先週具合が悪かったので一時的に抗ガン剤を飲むのをやめていました。そのときの血液検査の結果は、赤血球値は低かったのですが、白血球は正常値になっていたのです。

医師によって考え方が違うようです。外科の医師は再発転移しないためには、多少副作用があっても抗ガン剤とホルモン剤を飲み続けないといけないと考えておられるようです。

内科と婦人科と外科の先生の考えが違っていると患者は混乱します。どうしてひとりの患者を総合的に診ていただけないのかなあと疑問を感じます。
外科医が変わったら、ますます混乱するようなことになるかもしれません。でも、担当医は神様が備えて下さる。神さまは最善の治療をして下さる。だから大丈夫という思いが沸き上がって、動揺していた心もすぐに平静になりました。今日の検査結果も、この先のことも神さまにすべてゆだねています。神さまの大きなみ手の中にあって安らぎを感じています。

今日与えられた聖書の言葉。
「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。(イザヤ58:11)」



健康でなくても

2006-01-28 16:11:07 | 乳癌

子供の頃から身体の弱かったわたしは、丈夫になりたいと思い続けていました。非常に疲れやすい体質なので、とにかく人並みの体力が欲しい、喘息が完全に癒されたい、と強く願っていました。健康雑誌を買ってきては、ありとあらゆる民間療法をためし、健康法のテレビ番組があると録画してまで見ていました。お昼にやっている番組で「ブロッコリーを食べると元気になる」と聞くとさっそくブロッコリーを山のように買ってきて、次にキャベツがいいと聞けばキャベツを……という時期もありました。後にいくら体にいい食べ物でも同じ食品ばかりとり続けるのはよくないとわかってやめましたが……。健康食品を買い求めて試したこともありました。でも、あらゆることをしても効き目はありませんでした。

信仰生活を送るのも、まず健康でないと充分な奉仕ができないので、健康になることが第一なのだと思っていました。そして12年前スイミングを始め、10年間続けました。確かに水泳をしたら体力がつき、少しは効果が得られました。でも、喘息は治りませんでした。

感謝なことに喘息は予防薬を飲み、予防の吸入をすることによって、ほとんど発作が起こらないようになりました。でも、完全に癒されたわれではなく、未だに2か月に一度通院しています。

そして2年前、身体にいいと思われる物を食べ、健康には気を使っていたのにもかかわらず乳癌になってしまいました。食べ物や生活習慣においては癌になる要因は少なかったはずです。それなのに何故? とがっかりしました。

再発転移の恐れを抱いて苦しんでいたとき、
「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです(ヨハネ11:4)」
という聖書の箇所を読んで、はっとしました。 わたしの生きる目的は神様の栄光をあらわすためだったはずなのに、いつの間にかはきちがえてしまっていたのでは? 健康になることが第一の目的となり、すべての関心事は健康に向かっていました。身体が丈夫でなくても、病をかかえていても、そのままで神様の栄光をあらわすことはできる。たくさん奉仕ができなくても、自分にできることをやっていけばいいのだと気づきました。
そして、病気だからこそできる証もあるのだと気づいて、身体が弱いことを喜べるようになりました。

使徒パウロも持病があって、それを去らせて下さいと3度祈っています。でも、神さまは
「わたしの恵みは、あなたに充分である。というのはわたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである(Ⅱコリント12:9)
と言われ癒して下さいませんでした。

不信仰なわたしは、3度どころか何十回、何百回も癒しを祈り、健康を求め、神さまの答えに耳をふさいでいました。乳癌になってはじめて耳が開かれ、神さまの声が聞こえるようになっという感じです。


神さまに書かせてもらおう

2006-01-27 17:34:40 | 乳癌

一昨日、病院の待合室で星野富弘さんの「愛、深き淵より」(学習研究社)を読みました。3時間も待たされたので、ほとんど読んでしまいました。以前読んだことがあったのですが、新版が出たので父にプレゼントしようと思って買って家に置いていたのを持っていったのです。
 
改めて読んで気づいたことは、手足が動かなくなってから、筆をくわえて詩画を描くようになられるまで2年半もあったということです。怪我をされた直後は、呼吸確保もむずかしいほど命の危険にさらされ、危機が過ぎると四肢が動かないことへの苦悩、絶望、あせり……。

2年半といっても、身体的苦痛を伴う時間は5分が何時間にも感じられますし、ただベッドで横になっているだけの時間は、元気な人の数倍の時間に感じられたことでしょう。とほうもなく長い時間の末、筆をくわえて描けるということがわかり、生きる喜びを見いだしていきます。
でも、この2年半という苦しい時間があったからこそ、人を感動させるような詩画が描けるのだなあと思います。

成果にこそ価値があると考えている人が多く、何をなし得たかということで人の価値が決まってしまうような世の中です。病気や怪我をして何もできない日々を過ごしていると、自分が価値のないものに思われ、あせる気持ちが起きてきます。でも、何もできないときこそ価値のある時間なのではないでしょうか。

23日に「共鳴箱」を書いたあと、無性に書きたくなってはりきっていました。ところが、急に具合が悪くなって、出鼻をくじかれたようになってしまいました。自分の力で、「書くのだ!」と力んでいたわたしに、神様は「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である(出エジプト記3-5)」と言われたような気がします。

富弘さんが「花に描かせてもらおう」と謙虚な気持ちになられたように、わたしも謙虚な気持ちで『神さまに書かせてもらおう』と思いました。
 


主が設けられた日

2006-01-26 11:51:08 | 乳癌

昨日、一昨日と具合が悪く伏せっていました。でも、今日は大部良くなり、こうして久々にブログ記事を書くことができます。

これまでに乳癌と喘息という病気を抱えていることは書きましたが、子宮筋腫のことはまだ書いていなかったですね。子宮筋腫は40%の婦人が持っているというので珍しいものではありません。掌大より大きい場合、あるいは貧血などの症状が強い場合は手術した方がいいといわれています。

わたしの場合は乳癌になる何年も前から、5-6センチ大の筋腫が3つあるといわれていました。その筋腫が少しずつ大きくなって、今は7-8センチ大になっています。しかも3つともです。

そして今回その影響で、動悸、息切れ、目眩、頭痛、むくみの症状が出て一昨日は起きあがることもできず、昨日やっとの思いで病院にいってきました。(3時間待たされました)血液検査の結果、ひどい貧血だということで鉄剤をいただいてきました。

婦人科の医師は乳癌の治療のため飲んでいるホルモン剤(ノルバテックス)の影響で筋腫が大きくなっているのだと言いました。でも、外科(子宮筋腫は婦人科、乳癌は外科です)の先生は、ノルバテックスのせいではないと言われます。どちらが本当なのかわかりません。原因はともあれ、今後またこのような症状が起きたり、これ以上筋腫が大きくなるようなら手術を受けないといけないということで、覚悟はしておかなければと思っています。

いちばん具合の悪かった日、24日のデボーションの本に「最悪の日」という題でのメッセージが書かれていました。イギリスの心理学者がその年の最悪の日を割り出す算式を考察して、昨年の最悪の日は1月24日だったと書かれていました。ああ、ほんとうに今日はわたしにとって、最悪の日なのかもしれない……でも、今年の最悪の日がこの程度なら、今年はいい年だなあ、なんて思って読んでいました。
でも、次の文と聖書の言葉を読んだとき、はっとしました。


たとえ今日が「最悪の日」とカレンダーに記しをつけたくなるような日でも、生命という賜物を感謝し、喜びをもって一日一日を受け取ることができるよう、創造主は私たちを助けて下さいます。(ディリーブレッド1.24より)


「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(詩編118:24)」


そうです。最悪の日と思われるようなこの日も、主が造られ、備えて下さった日なのです。そう思ったとき、平安な気持ちで休むことができました。
具合が悪くて何もできない日、以前は無駄な一日を過ごしていると思っていました。そして、体の弱い自分がみじめでなりませんでした。

でも、主にあって無駄な時間、無駄な一日は存在しないのだと気づいたとき、この苦しみに耐える時間が、いつか真珠のようになって自分の中で輝くときがくるのだと思えます。
そして、この一日がわたしにとって必要な尊い一日だということ、神さまがわたしのために備えて下さった日だと気づいたとき、一日がキラキラと輝いて、肉体的にはつらくても、心は喜びでいっぱいになりました。



ありがとう わたしのいのち

2006-01-16 10:48:28 | 乳癌

昨日は春を思わせる暖かさでしたが、今日はまた冬に逆戻りです。

今日、ベランダのプランターにチューリップの球根を植えました。毎年秋になると球根を買ってきて植えるのですが、今回はすっかり忘れていました。植え付け時期がとっくに過ぎていますが、ホームセンターで安売りをしていたので三袋も買ってきてあわてて植えました。
去年の球根も掘り出していなかったので、土の中からひとまわり小さくなった古い球根が出てきました。そのまま植えておきましょう。これもきっと芽を出すでしょう。

乳癌の手術を受けてその翌春、朝日新聞の「季節の風」という冊子に星野富弘さんのチューリップの絵と詩が載っていました。それを見て同感し、ぽろぽろ涙をこぼしたのを思い出します。

ちょうど今年の星野富弘さんのカレンダーに同じ詩画があって、今、またながめて感慨にふけっています。ベランダのチューリップが咲いたら、また感動するでしょう。春が待ち遠しいです。

星野富弘さんの詩を紹介します。
   
ありがとう
私のいのち
こんなに生きられるなんて 
思わなかったよ
今、二十一世紀 
春!


ヨブ記を読んで

2006-01-13 11:02:44 | 乳癌

昨年の暮れからヨブ記を1章ずつ読んでいて、今日は33章を読みました。12月30日の日記にも書きましたが、以前(乳癌になる前)にヨブ記を読んだときと今とでは感じ方が全く違います。

以前読んだときは、自分の正統性を主張し続けるヨブをやや批判的な目でみていました。友人たちの議論は理解しがたく、真理を語っているのは誰なのだろう?と考えていました。

でも、今回読んでみてヨブに心から同情しています。ヨブは財産や子供たちを失っただけでなく、自身も足の裏から頭の頂まで悪性の腫瘍ができ、土器のかけらで自分の身をかいていたというのです。今まで元気で裕福な暮らしをしていたヨブが突然の不幸に襲われて、このような状況になってしまうとは……。神さまの存在を深く信じているヨブは、
「神さま、どうしてですか? わたしのどこが悪いというのですか?」と叫ばずにはいられなかったのでしょう。

わたしは喘息で死ぬほどの苦しみを経験しましたが、それは苦難といえる程のものではありませんでした。乳癌の手術を受けたときも、肉体的苦痛はたいしたことありませんでした。でも、リンパ転移がわかってからの精神的苦痛はいままで経験したことのない苦しみでした。ヨブの苦難に比べれば、これもたいしたことないものですが……。

でも、乳癌という病気を通して、少しだけヨブの気持ちが理解できるようになってよかったです。ヨブ記が聖書にあるのは、苦難の中にある人を慰めるためなのかなあと思います。


「苦しみは神を仰ぐとき恵みの宝庫となる」
(「旧約聖書1日1章」榎本保郎著506ページより)

手術記念日

2005-12-08 16:33:36 | 乳癌

 今日、12月8日は、真珠湾攻撃をきっかけにして太平洋戦争が始まった日です。また、ジョン・レノンの命日でもあります。

 わたしにとって、この日は手術記念日です。ちょうど2年前の今日、乳癌の手術を受けたのでした。アレルギー体質なので、麻酔があわないかもしれないという心配がありました。麻酔の注射を打たれるときは、このまま麻酔からさめないかもしれないと死を覚悟した一瞬でした。

 5時間後に気づいたときは、手術が無事終わっていました。クリスマス前の忙しい時期だったのに大勢の友人がお見舞いに来てくれました。
 
 病院ではクリスマス会をやってくださり、看護師たちによるキャンドルサービスがあり、カードやプレゼント(膝掛け)をいただきました。12月23日に退院したのですが、その翌日の夜、教会からキャロリング隊がわたしの住むマンションの部屋の下まで来て、素晴らしい賛美を聞かせてくれました。このときの感動は一生忘れないでしょう。

 現在わたしは健康が支えられ、今日は教会の家庭集会クリスマス会に出席でき、今は病院でいただいた膝掛けをかけてパソコンの前にすわっています。再発転移の心配、副作用による白血球減少の心配などありますが、心は平安です。そして、乳癌になったことを感謝しています。


乳癌になって気づいたこと

2005-12-01 11:44:37 | 乳癌


乳癌になる前と後では感じ方、価値観、ものの見方が変わりました。いままで大事だと思っていたものが価値のないものに思われてきました。
いままでずいぶん無意味なことをしてきたものです。
若いとかふけているといわれて一喜一憂したり、太った、痩せたで心を騒がせていましたが、もし残りの命が短いのだとしたら、そんなたわいのないことで悩んでいる暇はありません。

子供の成績、進路のことで悩んでいたことも無駄なことでした。わたしが今、召されたとしても、二人の子供たちはしっかりと生きていける。大丈夫。それより、子供たちに大切なことを伝えていこうと思っています。
乳癌になってから、ポジティブになりました。聖書の学び会のとき、今までは疑問に思うことがあってもなかなか質問できないでいましたが、いま聞かないと一生聞く機会がないかもしれないと思って質問するようになりました。

また乳癌になって涙もろくなりました。聖書を読むとき、祈るとき、賛美するとき、感動して涙が出ます。だから礼拝のときは大変です。ハンカチとティッシュは手放せません。
癌になって、当たり前のことですが、人は必ず死ぬのだということを実感しました。同じような日々が繰り返されているけれど、必ず終わりがあるということ。そして過ぎ去った日は戻ってこないこと。

生から死を見るのではなく、死から生をみると一日が、いっときいっときが、とほうもなく尊いものに感じられます。
それは神様から与えられた『生かされている時間』だからです。
死を身近に感じるようになって、永遠への思いが強くなりました。乳癌になる前は、目先のことばかり考えていて、永遠へ思いをはせることが少なかったように思います。

再臨(イエスさまが再び地上に来て下さること)のことも、ずうっと先のことに感じていました。でも、今は再臨を待ち望み、永遠の命がいただけることに希望をいだいています。
先日、本を読んでいて、永遠という神様の視点で物をみるということを教えられました。永遠の視点で物をみると、ほとんどの悩み、問題はなくなると書いてありました。

たしかに、永遠の視点からみれば、地上での命が2.30年長くても短くても同じです。
地上での命の長さがどれくらいかを考えるより、一日、一日生かされている日々を大切にして、与えられている時間を無駄にしないように使っていきたいと思います。


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