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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

退院後 (その3)

2005-11-30 13:13:39 | 乳癌
ちょうどそのころ礼拝でメッセージを聞いて、自分の内面を見つめるきっかけが与えられました。

自分の本当の姿を見つめると、愛に欠けた、自己中心な者であることに気づかされます。人のためにと言いながら何かをしても、結局は自分のためなのです。自分が人から認められたり、評判が良くなることを無意識のうちに望んでいるのです。
人を愛すると言いながら実は自分が大事で、まず自分を愛しています。
人を愛するということは、その人のために損をすること、犠牲を払うことです。究極の愛は、その人のために命を捨てることです。
でも、わたしは自分が損をしない範囲で人に親切にしてきたような気がします。

愛する友のために命を捨ててもいいと思っていましたが、実際に死と隣り合わせになったとき、死ぬのがいやで、友だけでなく夫や子供のためにも命を捨てることなど出来ない自分にきづきました。


イエスさまは、
「自分と同じように自分の隣人を愛しなさい」
といわれました。
それなのにわたしは、自分と同じように人を愛することができない者だということがわかって悲しくなりました。
そんなとき、星野富弘さんの詩を読みました。


「いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった」



わたしも自分の命を失いたくないと思っていたとき、苦しくてたまりませんでした。
富弘さんは、命より大切なものがあると知って生きているのが嬉しかったと言っています。

命より大切なもの……それはイエスさまのことだと思ったとき、はっとしました。

ひとつしかない命を人のために捧げることのできない自分に気づいた今、イエスさまのして下さったことがどれだけ大きいことかと思い、心が震えました。

ひとり子の命をこんなに愚かで卑怯なわたしのために差し出して下さった神さまの愛が迫ってきました。
これほどまでにわたしを愛してくれる神さまが、悪いようにするはずがない。たとい転移したとしても、それがわたしにとって最善なのだと思いました。


「あなたは、わたしを信頼しますか?」
イエスさまは、ゆだねきれないわたしに問いかけます。
「はい、信頼します主よ」
「あなたは、わたしを信頼しますか?」
 再びイエスさまが問いかけます。
「はい、信頼しますとさっき言ったではありませんか」
「あなたは、わたしを信頼しますか?」
 イエスさまは三度同じ事をいわれます。
「ごめんなさい。いままで、信頼しきっていませんでした。だからゆだねられなかったのです。ゆだねますいっさいをゆだねます」


わたしは、泣きながら祈りました。
「自分にこれから起こること、病気のこと、いっさいを主にゆだねられるようにして下さい」

ゆだねきれたかどうかわかりませんが、その日からふいに涙が出たり嘆いたりすることがほとんどなくなりました。夜もぐっすり眠れます。
いま、生きているということは、自分の意志で生きているのではなく、大いなる方によって生かされているのだなあと実感しています。

退院後 (その2)

2005-11-29 08:41:58 | 乳癌
放射線治療が終わると、後は1か月に1度の外科の診察と、3か月に1度の検査だけです。緊張が解けたのと同時に不安が襲ってきました。(放射線を当てている間は少なくとも再発はしないだろう。でも、これから再発の可能性が出てきた。転移もすでに始まっているかもしれない)と考えて落ち着かなくなりました。

それから、リンパ転移についてインターネットで調べると、3個以上転移のある人は10年生存確率4%と書いてあるではありませんか!(2005年11月現在にはその記事はなくなっており、確かなところはわかりません)
命がいちばん大切。まだ死にたくない。やりたいこともある。親より早く死ぬのは親不孝だ。なにより主人がひとりになってしまう……。

色々考えて夜も眠れなくなってしまいました。そして「乳がんになって」に書いたように神さまにゆだねようと決心していったん落ち着いたのですが……。
昼間は明るくふるまっていても、夜、床につくと涙があふれてきます。人前では涙を見せまいとしていますが、ひとりになると急に悲しみが襲ってきます。情緒不安定な日々が続いていました。

そのころからホルモン剤の副作用が出て、更年期症状(めまい、のぼせ)も日々ひどくなっていきました。フラッシュといって突然汗が噴き出してくる現象もしばしば起こります。夜は寝汗をかいて何度も着替えなければなりません。生理が止まったのはよかったです。子宮筋腫で毎月大変だったので……。
手術後、医師に「転移の可能性が大きい」と言われていたので、外科の診察を受けたとき、「転移してないか心配でならない」と言うと、「心配しても何のいいこともない。転移しているかどうか調べるために3か月に1度検査するんだから」と、言われてしまいました。

確かに心配していいことなどありません。でも、不安な気持ちが沸き上がります。心配するのはやめようと思えば思うほど心配になります。転移の可能性が大きいと言われて心配しない人などいないのでは……? 
3か月に1度検査するから安心というわけにもいきません。検査して、もし転移がわかったら……転移の場所にもより、また癌細胞の増殖の速度にもよるでしょうが、最悪の場合は「余命〇か月」ということにもなりかねません。
術後初めての検査(血液検査、腹部エコー、レントゲン)の結果を聞きにいったとき、待合室で胃の痛くなる思いでした。

「大丈夫です」といわれてほっとしましたが「まだ術後、日が浅いからね」という医師の言葉を聞いて(それなら、日にちがたてば転移するということなのかしらと)勘ぐってしまいました。

それにしても、なぜこんなに不安なのでしょう。神さまの善意を信じているのになぜ心が騒ぐのでしょう。それは、神さまにゆだねきれてないからです。ゆだねるというのは、ひなが親鳥の翼の下にいるとき、嵐が来ても何の不安もなく眠っていられるように神さまにすっかりおまかせすることです。
自分の体であっても、体の中でどのようなことが起こっているのか全くわからない者です。医師でさえ、検査をしなければわからないのです。検査をしても癌細胞のひとつひとつの行方や、先の予想もできません。
でも、神さまはすべてご存じです。神さまにゆだねきれたらどんなにいいだろうと思いました。

退院後  (その1)

2005-11-28 11:10:57 | 乳癌
乳癌の温存手術を受けて、退院後放射線治療が始まりました。
放射線治療は約5週間、土日をのぞいて毎日通わなくてはなりません。病院まで歩くと50分。自転車で20分。バスもありますが、乗り継がないといけないのでバスを使うと1時間以上かかります。

運転のできないわたしは、自転車で通うことにしました。主人はタクシーを使うように言いましたが、「もったいない病」のわたしは、治療費もかかるのに『タクシーなんてとんでもない』という考えです。

1年でいちばん寒い時期です。でも、「毎日通わなくては」という緊張感で寒さなどあまり感じませんでした。
25回のうち2回ほどみぞれが降って主人に車で送ってもらいましたが帰りは歩いて帰ってきました。

放射線に通っている間は、不思議なほど元気でした。病院の帰りに友人と会って昼食を共にしたり……。

教会の礼拝にも(この時も自転車で)退院して3週間後から出席しました。

 

放射線には副作用がほとんどないそうです。
はじめはこわいと思いました。でも、全く体に害のないものだから大丈夫という医師の説明を受けて安心しました。
放射線科の先生も技師の方々もやさしくて、冗談を言って緊張をほぐしてくれました。


でも、部屋に入ってベッドに横になり、ドアが閉じられると恐ろしくなります。
自動ドアが閉まるとき、ギーィッとすごい音がします。この音を聞くとぞっとします。
誰か一緒にいてくださればいいのにと思います。照射の時間はたったの1分です。でも、その間、左手を上げたままじっとしていなくてはなりません。
少しでも動くと放射線の当たるところがズレてしまいます。動いてはいけないと思うと緊張して体がこわばります。


1分ってけっこう長いです。最初のうちは数をかぞえていました。でも、その1分間に主の祈りをとなえることにしました。
心の中でゆっくりとなえてちょうど1分です。

主の祈りとは、イエスさまが弟子たちに教えて下さった祈りのことで、教会では礼拝のとき毎週祈っています。
主の祈りをとなえると、ひとりじゃないんだと思えて安心しました。

照射が終わるとドアが開いて技師の方がきてくれます。着替えの時間を入れて5.6分で終わりです。

3週間目くらいになると、放射線を当てているところが、少し赤くなり、ひりひりしてきました。
それは日焼けと同じ作用なので誰でもそうなるのだそうです。
しばらくすると、こんがりと小麦色に色づいてきました。それは、あとから皮がむけてきれいになりました。



「25回って長いなあ」
とはじめは思っていました。でも、だんだん残り回数が少なくなってきて、あと2回だと思っていくと、いきなり「今日で終わりです」といわれました。
数え間違えをしていたのです。早く終わって欲しいと思っていたのに「ええっ、もう終わってしまうの!」という気持ちでした。

メメント・モリ (日記)

2005-11-02 16:40:11 | 乳癌
 数日前、日野原重明さんが「現代のメメント・モリ」と題して朝日新聞にコラムを書いておられました。
 メメント・モリというのは、中世のヨーロッパで流行していたラテン語で「汝の死をおぼえよ」「死を忘れるな」という意味だそうです。人間はいつ死ぬかわからない存在であることをふまえて、死への心構えをもつことの重要性を人々に知ってもらうために、日野原氏は講演会をされているそうです。
 
 作家の三浦綾子さんは、「毎日今日が自分の命日になるかもしれないと思って生きている」とエッセイに書いておられます。
どんな人でも、今日一日生きていられるという保証はどこにもないわけですよね。

わたしは、乳ガンになってから死ということを考えるようになりました。
死をみつめて生きることによって充実した生き方ができるような気がします。

悲しんでいるようでも (日記)

2005-10-31 12:07:42 | 乳癌
朝、目が覚めると
今日という日の期待でわくわくする
誰もまだ体験してない
新しい一日がはじまる
足跡のついてない雪道に
サクサクと足跡をつけていくような気持ち

神さま、今日はわたしに何を語って下さるのですか
しもべは聞きます。主よお話下さい

癌という病気をかえているわたし。さぞ嘆き悲しんでいることだろうと思っている人がいます。たしかに悲しみはときおり津波のように襲ってくるし、涙もよく出ます。でも、決して悲しみに沈んでいるわけではありません。この詩のような気持ちで朝を迎えられるのですから幸いです。

「人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(2コリント人への手紙6:9-10)」


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