goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

打ちのめされたとき

2008-02-10 17:27:37 | 乳癌

前にも書きましたが、わたしはかつて健康になることを目標にして生きていました。生まれつき体が弱く、喘息という持病があったので、体力をつけよう、喘息を完治させようと努力していました。食べ物に気をつけ、週2回スイミング教室に通い、毎日体操をし、サプリメントを摂り……。体にいいということを何でも積極的にやっていたので、まさか自分が癌になるとは思いませんでした。

4年前、乳癌になってショックでした。こんなに努力してきたのに健康になるどころか癌になってしまったのです。喘息も完治しないのです。自分で自分の体を管理することができなかったこと。癌になっていたのに検診を受けるまで全く気づかないでいたことがショックでした。
そのショックによって、わたしの人生が大きく変わりました。


クリスチャンを迫害していたパウロ(サウロ)が、ダマスコへ向かうときキリストに出会い、打ちのめされる体験をして180度変えられたこと(使徒の働き9:1-19)が今日の礼拝で語られました。

「打ちのめされたときが、本当の自分を知るとき、全能の神を知るときである。」
と牧師先生が言われました。
「命の創造者である全能の神を信じるとき、打ちのめされた経験が幸いになる。自分の無力に気づき、弱さを自覚したときは、神さまが招いているときである」と聞いてその通りだと思いました。


神さまは、わたしに真の生きる目的を知らせるために乳癌にしてくださったのだと深く感謝しました。

4年たちました

2007-12-10 14:02:33 | 乳癌

今日は乳腺外来へ診察に行ってきました。乳癌手術したのは2003年12月8日ですから、まる4年たったのです。血液検査の結果は異常なしで、ほっとしました。ここまで、守られたことを神さまに感謝しました。
ノルバテックスを4年飲み続けていますが、今後飲む薬について5通りの選択を迫られました。

ノルバテックスをあと1年飲んでから、新しい薬(薬の名を忘れました)をさらに5年飲むというのが、いちばん再発リスクが低いのだそうです。これからすぐ新しい薬に切り替えて1年飲んでやめるという選択もできます。

思わず「新しい薬の値段は?」と聞いてしまいました。ノルバテックスと大体同じだというので、いちばん再発リスクの低いものを選びましたが、あと6年も薬を飲み続けなくてはならないと思うとがっかりです。


アメリカで乳癌の手術を受けた方は、術後、薬はなしだったそうです。また、別の友人は薬を拒否して何の治療もしていないそうです。
薬を飲んでも飲まなくても再発転移するときはするのだから、薬をやめた方がいいのかなとも思います。でも、たいした副作用もないので、ようすを見ながら飲み続けることにしました。

次回は3月で、1年ぶりにエコーとレントゲンで検査します。それがクリアーできたら、万歳です。


教会でチャペルの掃除奉仕を申し出ていました。人手不足と聞いていたのに
なかなか返事をいただけないので、なぜだろうかと思っていました。
昨日係りのIさんに「チャペルの掃除は椅子を全部動かして掃除機をかけないといけないから、あなたにはきついと思って……チャペルより教育観の2階の方がいいのでは?」と言われました。

そういえば、わたしは左のリンパ節を切除しているので、左手で重い物を持ってはいけないのでした。チャペルの掃除は乳癌手術前にしていたのですが、そのときは難なく椅子を運んでいました。椅子運びがあると知りながら、何の考えもなく奉仕を申し出ていたのです。無謀ですね。
Iさんの方がわたし自身より、わたしの身体のことを考えてくださっていて……涙が出るほど嬉しかったです。


さきほど日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPを更新しました。11月24日に関東ブロックのクリスマス会で創作童話『ミミとホホロの地球旅行』(三浦喜代子作)をパネルシアターに合わせて朗読しました。そのときの文章と絵を掲載しました。ぜひご覧下さい。

            ***************

夕方JCPのHPを確認したら、画像がアップされてないことに気づきました。いろいろ調べて、jpgが大文字になっていないことが原因だとわかりました。ソースを書き直してようやくアップしました。
今日、14時から17時の間にJCPのHPをご覧になった方は、申し訳ありませんが、もう一度ご覧下さい。画像が見られるようになりました。

運命?

2007-10-09 17:38:01 | 乳癌

8日に実家近くのお寺で行われた父の一周忌の法要に出かけ、1泊して帰ってきました。14名の親戚の方々が集まり、昼食を共にしながら久しぶりに従妹たちとゆっくり話ができました。


お経のあと、お坊さんが短く法話をして下さいました。
運命というものがあるということ、何かをなして功績を残しても、人はみな死んでしまうから残念だということ、しかし故人の築いた人間関係は残るという3つのことが語られました。
聞いていた人達は、皆うなずいて納得しているようすでした。

でも、この3つのことが真理だとしたら、人生とは、なんて空しいものなのでしょう。
人間、生まれながらにして運命が決まっていたら、意志や願いがあってもなくても、たどる道は同じということになります。
また、人それぞれの運命が偶然、あるいは星の動きや生年月日で決まるとしたら、どうしようもないという思いにとらわれます。
たとえば、癌を宣告されたとして、それが運命だと思ったとします。運命だから仕方ないとあきらめの心境になるのでしょうが、それはネガティブな受け止め方です。


わたしは、人生で起こるあらゆるできごとは、天地を造られた神さまがしてくださっていると考えているので、運命という考え方はしません。
癌になりましたが、それは神さまのなさる最善なのだとポジティブに受け止めています。神さまは、わたしに癌を与えることによって、栄光を表そうとされているのだと思うのです。

神さまは、わたしのことをとても愛して下さっていますから、悪いようにするはずがないのです。運命だったら、いくらこちらが訴えてもどうしようもないのですが、神さまは訴えを聴いて下さる方ですから、祈りによって訴えることができます。
そして、人格を持っておられる神さまがその訴えに応答して下さいます。祈りがすべてかなえられるわけではありませんが、聴いて下さるお方がいることが嬉しく、そのお方にすべてをお任せすれば間違えはないのです。

聖書には「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」と書かれています。

お坊さんの語られた何かをなして功績を残しても、人はみな死んでしまうから残念であるというのはもっともなことです。しかし、キリストを信じる者には永遠の命が与えられるのですから、クリスチャンは「残念」という思いを抱く必要がありません。

故人の築いた人間関係は残るというのはその通りです。でも永遠に残るわけではありません。何十年もたって、故人を知る人がみな召されてしまうときがくるからです。

聖書にはいつまでも残るものは信仰と希望と愛です。と書かれています。永遠に残るものをみつめて歩んでいきたいです。

乳癌になって気づかされたこと(その2)

2007-09-20 10:16:08 | 乳癌

乳癌になる以前のわたしは、色々なことに心を奪われていました。神さまを信じてはいましたが、いちばんの関心が神さまではなく、子供の教育のことや、趣味のこと、健康のことにあったのです。そのようなことに多くの時間とエネルギーを使っていました。

癌になる以前も非常に疲れやすい体質で、喘息という持病もあったので、とりわけ健康には気を使っていました。どんな食べ物やサプリメントが体にいいのか、どのような運動をすればいいのかと思いめぐらし、健康になることを第一に考えていました。教会の奉仕も、まず健康でなければ充分できないのだと思っていました。

週に2回スイミング教室に通っていたのも健康になりたかったからです。水や食べ物にも細心の注意を払って丈夫な体を目指したのですが、癌になりました。
癌になって、はっとしました。大切なものをはき違えていたことに気づいたのです。


『最も大切なことは、神の永遠の目的に生きることです』
と「人生を導く5つの目的」(リック・ウォレン著)に書かれていますが、神の永遠の目的とは、神を愛することと人を愛することです。

わたしは、神さまの愛がどれだけ大きくて深いものか知っているのに、神さま中心の生活をしていませんでした。人を愛することに真剣になっていませんでした。
丈夫になって何かをなしたいと望んでいましたが、たとえ丈夫になったとしても、老いと死から免がれるわけではありません。

神さまのみ心にかなった生き方をするのに必ずしも健康である必要はないのです。病んだままでいいことを知り、とても楽になりました。
体が弱くても、病気を抱えていても、愛するということに何の支障もありません。たとえ何も奉仕ができなくても、祈るという大きな仕事ができるのです。

聖書を読むと、神さまがどれだけ自分を愛して下さっているかが伝わってきます。そして、イエスさまは、わたしに神さまと人とを愛して欲しいと切望しておられるのです。愛に欠ける自分の姿に悲しくなることもありますが、愛の心を下さいと祈りはじめました。


「死ぬときに持っていくことが出来ないものに真剣になるな」
と聞きました。死ぬときには、何をしたかではなく、どれだけ愛したかが問われるのです。愛は永遠に残るものだからです。

癌になって、ようやく人生の焦点が定まったといえます。健康であるかないか、長生きするかしないかなどあまり重要なことではありません。すでに永遠の命に生かされているからです。
地上での命がたとえあとわずかだったとしても、一瞬、一瞬を精一杯生きたいです。与えられている時間を神さまの目的のために捧げようと思いました。

                     おわり


*お知らせ
今日から実家に行きます。留守の間コメントの管理ができませんので、申し訳ありませんが3日間コメント受付を停止にさせていただきます。予定通り戻ってきましたら、22の夜、受付を開始しますのでよろしくお願いいたします。

乳癌になって気づかされたこと(その1)

2007-09-19 17:33:33 | 乳癌

主人の会社の健保組合から健康診断の申込書が送られてきました。いま、わたしは定期的に病院で検査を受けているので、血液検査も、癌検診も、婦人科検診も、申し込む必要がありません。

申込書を見ていて、4年前の9月に乳癌の検査を受けたことを思い出しました。マンモグラフィーの時は特に気にかかることはありませんでしたが、超音波検査のとき、他の人の3倍くらい時間をかけて念入りに調べられるので、いやな予感がしました。不安になって、「何か異常があるのですか?」と尋ねたのでした。

検査してくれた方は、「まだわかりません」としか言いませんでしたが、その後で触診を受けると、医師に「しこりがあります。マンモグラフィーの結果が送られてきたら、必ず病院で検査を受けて下さい」と真剣な顔をして言われたので、びっくり仰天しました。自分ではしこりに気づいてなかったのです。『癌?まさか。わたしが癌になるはずがない』と思いました。


祖母は大腸癌、叔母は喉頭癌、従妹は乳癌で亡くなっているのに、自分は癌にならないと思っていたのです。癌にならない妙な自信(?)があったのに、それは見事に崩されてしまいました。

術後、リンパ転移があることがわかり、再発転移のリスクが大きいことを知りました。たいていの癌は5年再発しなければ完治と考えて良いそうですが、乳癌だけは、かなり年数が経ってから再発転移することがあるらしいのです。(早期発見され、リンパ転移もない場合は99%完治)

これから一生、再発転移を意識しなければならないなんて……と最初は絶望的になりましたが、神さまにすべてを委ねてからは、大きな平安に包まれています。

どうして平安が与えられたかについては、2007年2月13日のブログ「死と隣り合わせになって」をお読み下さい。

乳癌になって、ものの見方が変わりました。地上での残された時間について意識するようになったのです。たとい再発転移せずに年を重ねても、今度は老いと死の問題に直面することになります。


地上で生かされている命は限られている。
――この当たり前の事実を強く意識するようになって、生き方が大きく変化したのです。

どのように変化したかは、後日書きます。

わたしは話したいのです

2007-05-28 13:34:42 | 乳癌
今日は、前回行ったエコー検査の結果を聞きに病院へ行って来ました。やはり結果を聞くまでは落ちつかず、ドキドキでした。結果は異常なし。感謝!!いつも祈って下さっている方、有り難うございます。

腹部注射リュープリンをやめて4か月たちましたが、その悪い影響は出ていないということで、ほっと胸をなでおろしました。半年に1度おこなっていた子宮体癌の検査もやっと1年に1度でよくなりました。


昨日はペンテコステ礼拝でした。「かたりきかせよ」聖歌436(総合版 438)の作詞者キャサリン・ハンキーについて語られました。
彼女はロンドンに生れ、高級住宅地に住み、ハイ・ソサエティーな生活をしていましたが、18歳のとき自分と同世代の貧しい少女たちと出会って、彼女たちになんとか福音を伝えたいと思い、バイブル・クラスを開きました。ロンドンの多くの人々がこのバイブルクラスに参加して慰めを見いだしたそうです。

 
彼女が33歳の頃、重病を患いました。長い療養生活の中で詩を書き、その一部がこの聖歌になったそうです。原詩の一部を紹介します。(パワーポイントで映し出された字を急いで書き写したので、間違えがあるかもしれません。ご了承下さい)


人知を遥かに越えたイエスの愛について
古い昔の物語をわたしに話して下さい
イエスとその愛についての物語を
わたしは話したいのです
わたしが話したいと思うそのわけは
それが真実であり
他の何ものも満たしてくれることのない
わたしの願いを満たしてくれるからです


イエス様のしてくださったことは、真実で素晴らしいニュースです。だから『話したいのです』と、キャサリンは病床にありながらも熱い宣教の思いを抱いています。そのキャサリンの思いが伝わってきて、体中の血がかけめぐりました。

わたしも伝えたい。童話や詩や小説に託して。



写真はこの記事とは関係ありません。東京国立博物館の中です。『受胎告知』は階段の右奥の部屋に展示されていました。

「ガンに生かされて」を読んで

2007-05-02 13:43:50 | 乳癌
連休前に出かけたので、連休はずうっと家にいます。明日から息子夫婦が赤ちゃんを連れて泊まりがけでやって来きます。いつの間にか我が家が実家になり、迎える方になってしまいました。今日は嵐の前の静けさといった感じです。


「ガンに生かされて」(飯島夏樹著 新潮社)を読み終えました。現在のわたしには、少々酷でした。無意識に自分と重ねてしまったようです。
ガンが全身に転移して余命を宣告された夢を見てしまいました。夢の中で「ホスピスに入るから、ノートパソコンを買って下さい」と主人に頼んでいました。


読むのはつらかったけれど、感動するところ、教えられることがたくさんあり、読んでよかったと思いました。
末期癌で段々症状が悪化していき、死期が迫っているのを知りながら、冷静に文章を書いておられます。作者は、文章を書くことが喜びだとも言っています。肉体は病んでいても心は病んでないのです。死んだら天国にいき、永遠の命をいただけるという確信があるので冷静でいられるのでしょう。


それにしても、38歳の若さで、奥さん、4人のお子さんを残して死んでいくのはつらかったでしょうね。末のお子さんはまだ3歳です。子どもたちの成長を見たかったでしょうし、奥様のことも気がかりでしょう。


死を前にした人間の心の中には2つの感情しか沸き出してこないといいます。
あらゆる物への感謝とすべての人に対する共感の2つだそうです。飯島さんは
「死を覚悟させられるほどのものすごい痛みを経て、この2つの感情しかなくなった」と書いています。


怒りの感情、マイナスの感情がどこかに消えてしまったというのは、神さまによる奇跡といえるでしょう。
健康そのものだった(飯島さんはプロのウィンドサーファーでした)彼が、『どうして死に至る病にかかってしまったのだろう?』と、誰かを恨みたいような気持ちになったとしても不思議ではありません。
彼は恨みの感情が消えたことが不思議だと言っています。症状の悪化に伴って心が揺れることがあっても、平安が与えられているのです。
「天国からのお呼びはいつか来るだろう。だからこそ、そのときがいつ来ても良いようにいつも笑顔でいたい」
というところに心動かされました。


もしわたしがそのような状態になったら、このように平安でいられるのでしょうか……。笑顔を見せられるのでしょうか……。
それでも書き続けているとは思いますが、自信はありません。願わくば、ずっと元気で書いていたいです。同じ癌患者につらい思いをさせたくないので、癌では死にたくないなあと思います。すべては神さまのみ手の中ですが……。

ようやく咲いたチューリップ

2007-04-23 14:05:19 | 乳癌
チューリップが咲きました。今回も球根を植える時期が遅かったのですが(なぜか毎年植える時期を逃しています)ようやく咲いたので、とても嬉しいです。去年の春、芽が出たとき嬉しくて、3/25に球根のうたを書いたのですが、結局花は咲咲きませんでした。花が咲く前に虫にやられてしまったのです。

でも、それは腐って土の養分となりました。その後で植えた球根は、腐った球根の養分を吸って育ち、きれいな花を咲かせました。去年失敗したことは無駄にはなっていない。去年かなわなかったことが今年はかなうかもしれないと花を見て思いました。


今日は病院へ行って来ました。約1年前から乳癌専門の先生に看てもらうようになり喜んでいましたが、その先生が産休に入られて、また別の先生になりました。
引継はできているはずなのに、診察室に入ると「手術は7年前でしたか?」と聞かれ、がっかりしました。(3年4か月前です)
1年以上超音波検査をしていなかったので、頼んでやってもらいました。結果を聞きに行く日は1か月も先です。こんなにのんびりしていていいのかなあ?と不安になります。

リュープリンという腹部注射をやめたので、その影響が来月半ば頃出てくるかもしれないと言われました。たといそれで調子が悪くなっても、たいしたことはないでしょう。


待合室で「ガンに生かされて」(飯島夏樹著 新潮社)を読みました。飯島夏樹さんは、『天国で君に逢えたら』の作者です。先月出演させてもらった「ライフ・ライン」のDVDを見た方が、「是非読んでみて下さい」と貸して下さったのです。

わたしは、乳癌手術の後、癌患者のあかしや闘病記をほとんど読んでいません。癌でなくても、死に至る病を負っている人のテレビドラマも見ていません。「東京タワー」は途中までしか見られませんでした。

癌になる前は全く平気でした。心のどこかで自分はそのような病気にならないと思っていたからです。
でも、乳癌になってからは、身につまされるというか、自分に置き換えて感情移入し、つらくてたまらなくなるのです。特に主人公が死んでしまう場合はつらいです。最近やっと読めるようになってきました。

素晴らしい文章に出会いました。


最終的に辿り着くべきなのは受け入れること。結局はそこにいくべきではないだろうか。

最近、完全に自分の命の時間が神の御手の中に入ったと感じる。


余命3か月と宣告され、癌の終末期に入った飯島さんが書いたものです
生きるとは? 命とは? 考えさせられますね。

ゴメンナサイ。家庭集会の学びは明日書きます。


死と隣り合わせになって

2007-02-13 11:58:44 | 乳癌
昨日は体調が悪く、いちにち横になっていました。頭痛がするので風邪だと思っていたら、肩こりからくる頭痛のようでした。40肩、いや50肩なのかもしれません。とにかくとても疲れていて、気持ちも落ち込んでいました。でも癒しのみ手が働いて、だいぶ元気になりました。

今日は日本クリスチャン・ペンクラブから去年の12月に発行された「生かされている喜び」に掲載されたエッセイ「死と隣り合わせになって」を紹介します。これは、乳癌手術の後の心境を綴ったもので、2004年3月に書きました。この本には、以前紹介した「傷つき渇いている心に」と「風の種」、とこの作品あわせて3作品が掲載されています。


死と隣り合わせになって          

2003年12月にわたしは乳がんの手術を受けました。初期だったので温存手術ですみ、退院後、放射線を当てに通院しました。
1年でいちばん寒い時期でした。放射線を当てれば転移の心配もなくなるのだと思って毎日必死に自転車をこいで病院に通いました。
通っている間は緊張していたためか元気でした。ところが25回の照射が終わると、急にがっくりとしてしまいました。放射線を当てている間は再発転移の可能性はない。でも、今後は大丈夫なのだろうか。抗ガン剤は飲んでいるけれど、効くのだろうか……。
 乳癌が肝臓に転移して亡くなった人の話を聞き、不安でたまらなくなってきました。
 
 わたしが死んだら、子供たちは……。主人は……。年老いた両親は……。いろいろ考えると落ち込む一方で、夜も眠れなくなり、情緒不安定になってしまいました。
 受難週の礼拝で三度イエスさまを裏切ったペテロの話しを聞いて、自分は三度どころか数え切れないほどイエスさまを裏切っているなあと思いました。
 我が家の家庭集会に八年間集い、求道している姉妹のために何年も祈り続けてきました。彼女が救われるならこの命が削られてもかまいませんと祈りました。でも、現実に命が削られそうになってあせりました。

「神様、ちょっと待って下さい。まだ死にたくありません。せめて娘が成人するまで、いや娘が結婚するまで、いや娘が子供を産むまで……。あと10年、いや、あと20年生かして下さい」
気がつくとそう祈っていました。心の中には彼女の存在はなくなっています。友のために命を捨てることなど、とうていできません。死と隣り合わせになって、友のためだけでなく、主人や子供のためにも死ねない、愛に欠けた自分の姿を発見しました。

そのとき、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」という星野富弘さんの詩を思い出しました。
いのちよりも大切なものというのは、イエス・キリストへの信仰だと思ったとき、イエスさまのしてくださったことの大きさに気づき心が震えました。
人のために命を捧げることのできないわたしですが、イエスさまはこんなわたしのために命を捨てて下さいました。その大きな愛に迫られて、自分がまだ神様に委ねきってないことに気づきました。わたしを愛して下さる神様は、わたしに最善をして下さる。だから、すべて委ねようと思い、
「神様、いっさいをあなたに委ねます」

そう祈ったとき、平安が訪れ、夜もよく眠れるようになりました。
これからは、一日一日生かされている日々を大切にして、与えられている時間を無駄にしないように使っていきたいです。

病んだままでいい

2007-02-05 13:53:04 | 乳癌

医療費控除の申請をしに税務署までいって来ました。昨年は、わたしの医療費だけで10万をはるかに越えてしまいました。9時からだと思い、ちょうど9時に行くと部屋は人でいっぱいでした。

それでも書類は主人にきっちりと書いてもらっていたのですぐに提出できました。
国税庁のHPからネットで申請もできるそうですが、税務署が自転車で行ける範囲の場所にあるので直接提出してきました。


そして今日は先週受けた血液検査の結果が出る日で、さきほど病院に電話をしました。検査結果を電話で聞けるようになって助かります。(乳腺外来だけなのかもしれませんが)今までは結果を聞くだけで2.3時間待たされていました。
ちょっと緊張して電話をかけると「血液検査の結果何の異常もありません。腫瘍マーカーも、そのほかの値もとてもいいです」と言われ、ハレルヤ!と叫びたくなりました。


父の病状を見ていて、腫瘍マーカーに異常がなくても癌が転移していることがあると知ったので、ほんとうは手放しでは喜べないのですが……。
癌の再発転移は検査で発見されるより、体調が悪くて来院してわかるケースが多いそうです。今、体調がよく元気なので大丈夫なのでしょう。

それでも腫瘍マーカーのちょっとした変化や、体調がすぐれないとき、すぐに恐れが沸き上がってきます。昨年は自分の弱さをとことん感じました。

昨日のメッセージで「教会はホスピスである」と聞いてほっとしました。ホスピスは病んだまま安らげるところです。教会は病院でもあります。教会に行って心の病が癒されることも多いです。でも、すべての病がすぐに癒されるわけではありません。


欠点、弱さ、醜さを隠す必要がなく、病んだままここにいていい。
と言ってくださっているので、わたしは安心して教会にいられるのです。

イエス・キリストの言葉

医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。(マルコ2:17)


注射をやめたわけ

2007-01-30 20:36:42 | 乳癌

乳癌の手術を受けて3年を越えましたが、術後の治療はまだまだ続きます。手術後の経過をざっと振り返ってみます。これは、あくまでもわたしの場合であって、乳癌といっても人によって治療法、副作用のあらわれ方など違うということを念頭においてお読み下さい。


温存手術だったため、手術後、放射線を当てに25日間毎日病院に通いました。(くわしくはブックマークのいちばん上にあるHPの「病気のこと」→「退院後」に書いています)
薬は抗ガン剤フルツロンとホルモン療法としてノルバテックス(タモキシフェン)を飲みました。(わたしの乳癌はホルモンレセプターが+でした)
放射線治療では副作用はなかったのですが、フルツロンを飲み続けるうちに白血球値が下がってきて(医師はフルツロンのせいではないといいましたが……)肺炎にもなってしまいました。

超音波などの検査は最初は3か月に1度、次に半年に1度、3年たった今は1年に1度です。(血液検査は半年に1度)
去年の4月に担当医が変わり、乳腺外来に通うことになりました。(それまでは、外科で看てもらっていました)乳腺外来でリュープリンという腹部注射を薦められ、最初は1か月に1度、2回目から3か月に1度受けることになりました。リュープリンを打ったので、フルツロンはやめることができました。フルツロンをやめると、徐々に白血球は正常値に近づきました。

ノルバテックスはずっと飲み続けています。そもそもリュープリンはノルバテックスの副作用を抑える働きをするそうで、ノルバテックスだけ飲んでいたとき、子宮筋腫が大きくなり、内膜が厚くなっていたのが、注射で改善しました。
リュープリンの副作用は、やる気がなくなる、肥満、鬱、更年期障害などだそうですが、あらわれたのは更年期障害のホットフラッシュくらいです。

リュープリンを1年近く続けたので、やめて様子をみてもいいと言われたのでやめることにしました。やめてもフルツロンはもう飲まなくていいそうです。
ノルバテックスはやめられないので、注射をやめるとどうなるか?は医者でもわからないそうです。それは、体質、年齢によって異なるからです。

ノルバテックスの副作用が出て具合が悪くなったら、またリュープリンを打ってもらえばいいという気持ちもあったので一大決心というわけではありません。もっとも、もう1年続けた方が危険は少ないと言われましたが……。

医学知識のないわたしは、これほど医学が発達しているから、癌になっても早期に治療すればすぐ治るのだと思っていました。そして医師ならなんでもよくわかっているのだと安心していました。
でも、まだ癌を細胞単位で見つけることができないし、再発転移を100%抑えることができないので、治療法もさまざまで、癌治療はまだ試行錯誤の段階です。再発転移するかしないか?何年生きられるのか?などということは、医師にはわからないのです。
命を握っておられる神さまだけが知っておられるのですね。

でも、わたしは神様が最善をしてくださることを信じます。たとい体がどんな状態になってもそれが最善なのだと信じます。


「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。(詩編91:14-16)」

5回目の注射

2007-01-29 18:18:57 | 乳癌

今日病院へ行ってきました。乳腺外来で5回目の腹部注射(リュープリン)を打ってもらいました。乳癌の再発転移予防のため3か月に1度注射を打っています。
婦人科も受診したのですが、めずらしくどちらもそれほど待たされずにすみました。
注射は今回で終わりになるのですが、手放しで喜べません。

注射のあと4.5か月後に体調がくずれる恐れがあると言われたからです。子宮筋腫は注射のおかげで少し小さくなったのですが、注射をやめるとまた大きくなる可能性があるそうです。もう1年注射を続けるか、いまやめて様子を見るか?と問われて、いまやめることを選びました。値段が高いので負担が大きすぎるからです。
不安はありますが、このことも主に委ねていま健康が支えられていることを喜ぶことにします。

それにしても体がだるいのは注射のせいでしょう。今日は午後から病院だったので、夕飯の支度を朝のうちにやっておいて正解でした。

3回目の注射

2006-08-14 17:55:14 | 乳癌

今日病院へ行ってきました。乳腺外来で3回目の腹部注射(リュープリン)を打ってもらいました。
お盆のためかとてもすいていて、いつもは2時間以上待たされるのに30分しか待たされませんでした。

前に打ったところの筋肉(ぜい肉と言うべきかも)が固くなっていて、注射を打つ場所を少しずつずらして打っていましたが、そのうち打つところがなくなってしまうのでは……と心配していました。すると、嬉しいことに固くなっていたところがほぐれていて、さらにこのまま順調ならあと2回でいいと言われました。
注射のあと、同じ病院で友人が5人目の子供を出産されたので、お祝いに行ってきました。生まれたばかりの赤ちゃんを見て、注射の痛みが癒されていくようでした。

注射のあと、2.3日は体がだるく、倦怠感におそわれますが、昨日の記事のコメントに力づけられて書きました。

先のことはわかりませんが……

2006-06-27 12:11:22 | 乳癌
さわやかな梅雨の晴れ間。グリーンを並べてみました。ほっとするひとときです。

 昨日新聞に乳癌の薬物療法についての記事がありました。
乳癌手術後、再発予防目的でタモキシフェンを飲んでいる方が、5年たったのでこの先飲み続けて良いかどうか迷っているということが書かれていました。タモキシフェンは女性ホルモンを抑える薬で、ノルバテックスもそうです。5年間タモキシフェン服用後にレトロゾールを飲むと、再発リスクが40%下がることが最近わかったそうです。

40%といわれてもぴんときません。降水確率と同じと書かれていましたが、何%というより、自分はどうなの? とそこがいちばん知りたいことです。
乳癌患者の6-7割は女性ホルモンに反応して増える癌細胞を持つそうですが、わたしもそうだったので、タモキシフェン(ノルバテックス)を飲んでいます。術後5年までの半分を過ぎたところですが、副作用で子宮筋腫が大きくなったり(これは腹部注射で抑えていますが)、更年期症状が進んだりしています。
副作用のリスク、高い薬代を考えると迷うのは当たり前です。その時がきたら、わたしも迷うでしょう。

去年87%という乳癌のドラマがありましたが(結末がもし悲劇的だったらつらくなると思い、見ませんでした)初期の乳癌でリンパ転移のない場合は、5年生存確率87%なのだそうです。
友人が「87%なら約9割じゃないの。乳癌なんて怖くないわね」と軽く言っていましたが、「87%だからたいていは大丈夫」といわれても再発転移におびえて鬱病になってしまう人もいます。

わたしは、術後4つのリンパ転移がみつかったので、10年生存確率4%という記事を病院のHPで見て、大変ショックを受けました。でも、今はその記事はなくなっており、他のサイトで5年生存確率20-30%という数字を見つけましたが、決して安心できる数字ではありません。

でも、どんなに健康な人でも、5年生存確率100%の人はいません。(今日の生存確率もです)事故や事件、急病であっという間に亡くなってしまう方は少なくありません。
それなら自分はどうなの? 5年後は? 10年後は? と誰かに聞きたい気持ちになります。でも、それは医師でもわからないのです。生存確率が0%といわれていても、生きる人もいるわけですから、%にこだわることはないわけです。


弱い者ですので、医師のひとことや数字で心乱れることもあります。泣いてしまうこともあります。
 けれども、すべてが神さまの手ににぎられていると思うと安心します。先のことはわかりませんが、わからないことで救われていることが多いですね。人をそのように造って下さった神さまに感謝します。
 自分の体の状態、再発するかしないか、いつまで生きられるのかなど、すべてをご存じである神さまにおまかせして、いまを精一杯生きていきます。


だからあすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。(マタイ6:34)

踊る蓮の葉

2006-06-09 16:49:22 | 乳癌


わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。(申命記11:14)


神さま、雨をありがとう!


 今日は婦人科の診察日で病院へいってきました。外科、内科、婦人科と、かかる科は違うのですが、このところ3週続けて通院しています。
診察券を出してから1時間ちょっとで呼ばれたので、今日は早いほうでした。夢中で本を読んでいたので、呼ばれたのに気づきませんでした。

 乳癌の治療の一環として、先月25日にリュープリンという腹部注射を打ってもらいましたが、今日はリュープリンが子宮筋腫にどのように作用したか調べてもらいました。3つあった筋腫がそれぞれ約1センチずつ小さくなっていたと聞いて嬉しくなりました。でも、「3分の1ほど小さくなるはずなのにまだですね」と言われました。「注射を続ければどんどん小さくなるのですか?」と尋ねると、時期が来ると、ある程度で止まると言われました。どうかこの次にはもっと小さくなっていますように。
 
 副作用について聞かれたので、ホットフラッシュはひどくなっています。と答えました。
ホットフラッシュとは更年期症状のひとつで、急にほてり、汗が吹き出てくる症状のことです。一日に何度も着替えているのに背中にあせもができるほどです。年齢的に更年期にさしかかっているというのに、ホルモン剤ノルバテックスで症状がすすみ、さらにリュープリンで追い打ちをかけているのですから、ひどくなるのは当たり前です。更年期症状が強い人には、女性ホルモンの薬を飲んで和らげる治療がなされます。でも、ホルモンレセプターがプラスの乳癌の人は、飲むことができません。女性ホルモンを抑える治療をしているからです。

「がまんするしかありませんね」と言われましたが、わたしは特につらいと思ってないのでがまんする必要もありません。痛みやかゆみ、呼吸困難に比べたら、ホットフラッシュなど苦しみのうちに入りません。それに鬱と肥満にも注意といわれていますが、いまのところ大丈夫です。リュープリンを打つことによって、やる気が失われるかもしれないといわれましたが、それも大丈夫。逆にやる気は高まっています。

先週の内科では、白血球値が回復しつつあることを知らされました。抗ガン剤を飲むのをやめてから約1か月で2000近くまで下がっていた値が3600になっていたのです。
感謝、感謝! 先日風邪をひいたけれど、大事にいたらず治ったのは、このせいだと思います。肺炎になることへの恐怖から解放された気がします。
 
 今日は朝から雨なので、主人が出勤するとき車に乗せて病院へ連れていってもらいました。帰りは、バスを乗り継いで帰ろうと思ったのですが、バス停へいくと出たばかりだったので、一時間近くかけて歩いて帰ってきました。(さすがに疲れました)

 途中寄り道して蓮の花が咲いているかもしれないと思い、蓮畑にいってみました。写真は東真鍋の蓮畑です。(茨城はレンコンの産地です。土浦市内では、最近どんどん蓮畑が埋められて少なくなっています)蓮の花はまだでしたが、蓮の葉が雨を喜んで踊っているように見えました。蓮の花が咲いたらぜひ写真を撮りたいと思いました。


 結婚記念日(その11)は明日書きます。


拍手ボタンです

web拍手