静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

講壇の花

2015年03月08日 | 生花
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天のマナ

2015年03月01日 | 天のマナ
「節欲に生きる」   

 「しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。」(Ⅰコリント6:11)
 
 「クリスチャンは、まじめだから、禁欲なのでしょ」と問われることがありますでしょうか?クリスチャンは、全員、バプテスマのヨハネのように、ラクダの毛ごろもを着て、いなごと野蜜を食料として、禁欲的な生活をしなければならないのでしょうか? クリスチャンは、決して禁欲でなければならないことはありません。もちろん、その逆の快楽に走ってはいけません。クリスチャンは、禁欲でも快楽でもなく、節欲(欲をコントロールすること)であります。
 たとえば、食欲、睡眠欲、性欲など人間には、主から与えられた純粋な欲があります。クリスチャンは、神の言葉に従い、食欲、睡眠欲をコントロールし、心身が健康になるために楽しみます。暴飲暴食、拒食で健康を害してはいけません。また性欲も神の言葉に従いコントロールし、結婚という絆の中で夫婦が成長成熟するなるために用いるのです。それ以外は罪であり、自らと他者を傷つけます。自由と自分勝手は違います。自由はルール(秩序)の中にあって本当の自由があります。人間のルール(秩序)は、神の言葉であり、神に従うことです。ここに幸いがあります。

 2015/3/1
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主日礼拝説教要約

2015年03月01日 | 説教要約
「万事は神に告げられたとおりに成る」 使徒行伝27章13~44節

 ローマに向けて出発した船は、クレネ島のラサヤ港に着きます。

Ⅰ 己を優先する失敗
 航海に危険な季節となり、パウロは三度難船した経験から地中海の恐ろしさを知っていて、港に留まるように述べたが、百卒長は、船主や船長の意見に従い、ピニクス港へ向かいました。世の中の常識や専門家の経験に聞き、神に聞こうとしない、己を優先することを選びました。その結果、北風の暴風に遭い難破し、幾日もの間太陽も星も見えず方向も自分の位置もわからなくなり、船具や積み荷も捨て助かる最後の望みもなくなったのです。

Ⅱ 失敗の中でもあらわされる神のあわれみ
 このような己を優先した結果の失敗も、神はパウロを用いてあわれみ、神の栄光に変えるののであります。パウロは神の前に出て聞き、必ず神の言葉のとおり、ローマに立つことを確信し、周りの者たちに「元気を出しなさい」と励ましました。船は陸に近づき、浅瀬に乗り上げ、全員のものは守られ島に上陸したのでした。

 クリスチャンは、どんな状況でも神の約束を信じ、隣人を励まし最善に生きる役を受けているのであります。

2015/3/1 説教者 杉本守
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