「敵を愛する」
人間が起こす戦争に勝利や敗戦はありません。戦争を始めた時点で、両方とも敗者であります。戦争をする両方は自分たちなりの大義を掲げます。しかし、それは人間の義であり、人間の義は時代、状況、立場、感情、最後には自分の欲によって変化していきます。
私たちは、自分の義ではなく、永遠に変わらない神の義に立ち神の愛をもって生きていく者であります。主イエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)と言われました。まさしく、主イエスはあの十字架上で、自らを十字架につける者達を愛し、「父よ、彼らをゆるして下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)と彼らのために祈られたのです。いや、時代を超えて罪深い私達を愛し祈られたのです。
ドイツの物理学者、哲学者カール・フリードリヒ・フォン・ヴァゼッカーは、次のように説明しました。「敵を愛するとは、敵を理解するように努めること、それは、彼らの状況に身を置き、彼らの立場から世界を見、彼らの関心や希望、彼らの不安や傷ついた心を知るように努力することである。」
2013・8・4