「収穫の時に実りがわかる」
毎年この時期に、近くのミッション・スクールで全校修養会が行われ、講師、市内の牧師らが招かれる。講師の講演の後、各クラスにそれぞれ牧師が行き、一時間弱の時間を共にする。今年も行われ幸いな時をもった。「豊かに実を結ぶ」が今年の修養会のテーマで、講義を通していただいた主の恵みを分かち合いたい。
講師は、豊かな実がなっている果物の木と地上50~60センチに伸びた芋の苗の絵を見せてくれた。絵を見ると果物の木の実は見えていて結んでいるのがわかるが、芋は茎と葉だけが見えていて実がないように思える。しかし、その実は地中にあり、見えていないだけであり、収穫になればわかる。
信仰者も時に見える所ばかり見て、今見える実があるかないかで、有頂天になったり落ち込んだりするが、たとえ今は見えなくても、確かに実が結ばれていることを信じる必要がある。収穫の時(再臨の時)には、主が掘り起こすように見せて下さり、私たちの労が無駄ではなかったことを知るからである。
「しっかり立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているからです。」(第一コリント15:58)
毎年この時期に、近くのミッション・スクールで全校修養会が行われ、講師、市内の牧師らが招かれる。講師の講演の後、各クラスにそれぞれ牧師が行き、一時間弱の時間を共にする。今年も行われ幸いな時をもった。「豊かに実を結ぶ」が今年の修養会のテーマで、講義を通していただいた主の恵みを分かち合いたい。
講師は、豊かな実がなっている果物の木と地上50~60センチに伸びた芋の苗の絵を見せてくれた。絵を見ると果物の木の実は見えていて結んでいるのがわかるが、芋は茎と葉だけが見えていて実がないように思える。しかし、その実は地中にあり、見えていないだけであり、収穫になればわかる。
信仰者も時に見える所ばかり見て、今見える実があるかないかで、有頂天になったり落ち込んだりするが、たとえ今は見えなくても、確かに実が結ばれていることを信じる必要がある。収穫の時(再臨の時)には、主が掘り起こすように見せて下さり、私たちの労が無駄ではなかったことを知るからである。
「しっかり立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているからです。」(第一コリント15:58)