静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年03月04日 | 天のマナ

「主イエスのお心を知る」 マタイによる福音書26章1~13節

 受難節、復活際を迎えるにあたり、マタイによる26章以下から共にみ言葉をいただきましょう。この箇所はマルコにもヨハネにも記されています。主イエスは、十字架にかかられる直前にベタニアの街にあるシモンの家の食卓に着かれました。

Ⅰ 主イエスの言葉を受け止めた者

 このシモンの家に、マルタ、マリヤ、ラザロの三姉弟が来ていて、主イエスをもてなしています。一人の女性(ラザロの姉マリヤ)は、。純粋なナルドの香油を主イエスの頭から足へ注ぎます。それは非常に高価で彼女が大切にしていたもので、300デナリするものでありました。弟子たちは、無駄遣いであり貧しい人に分け与えるべきだったとマリヤを責め立てます。なぜ、マリヤはこのことをしたのでしょうか。一つは、弟ラザロを生き返らせてくださった感謝でありましょう。もう一つは、打算を越えた主イエスへの純粋な愛であり、愛する主イエスが十字架にかかるとおっしゃった言葉をしっかえりと受け止めたからであります。自分のメシヤ観に主イエスを詰め込もうとするのではなく、人類の救いのために受難(十字架)を受ける主イエスのそのままの姿を受け止めたのであります。

Ⅱ 主イエスの願いを行った者

 彼女の関心は自分がどうこうではなく、主イエスがどういう状況にあり、何を願っているかというものでもありました。ですから弟子たちの悪評の中にも無言で主に仕えたのです。主イエスが十字架にかかられて死なれることに彼女は寄り添い、それでは葬りの用意が必要であるとこの機を逃さず、香油を注いだのでありました。それに対して主イエスは、彼女の思いと行為を喜び賞賛されました。彼女は、この時しかない機を逃さず、できる限りのことをしたのですから。

 私たちがささげる奉仕はどうでしょうか?いつかそのうちで機を逃したり、あまったものをささげるのであったりしていないでしょうか? マリヤのように主イエスのお心を知り、それにかなうささげ方をしていくとき、香油は満ちていくのです。

2012/3/4 説教者 杉本守

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