「神のあわれみ」(マルコによる福音書7章24~30節)
ガリラヤ伝道の合間に主イエスは、異邦人の地ツロで休まれていました。そこに異邦人であるギリシャ人の一人の母親がイエスのもとに来たのでありました。この記事より神のあわれみを見ていきましょう。
Ⅰ 神の目に留められない私達
この女性の娘は、汚れた霊につかれていたのでありました。彼女は娘から汚れ た霊を追い出してくださるように主に願います。主イエスは、優先的目的の一つ として旧約を成就するために来られ、旧約に直接関するユダヤ人に福音をおもに 伝えていましたので、そのことを彼女に伝えます。主イエスは、異邦人伝道は 後日の弟子達にゆだねられていたのでした。
しかし、彼女は「主イエスの言葉はもっともである」と言うと同時に、神様の 恵みは溢れていて、異邦人にも及びますとへりくだりと信仰を表すのです。
Ⅱ 神の目に留めてくださる主イエス
主イエスは、彼女の信仰に応え、この異邦人である娘から汚れた霊を追い出す のです。本来ならば、この時点では枠の外のような異邦人でありますが、主のあ われみは溢れていて、異邦人であっても信仰による時に、主の御業を体験できた のでした。
私達も本来ならば、永遠の神、宇宙を御手に治める神様から見たら、あまりにも小さくて、目に留めていただけるような者ではありません。さらに何の功績もないばかりか、神に反することばかりしているものであります。けれども、神のあわれみは溢れているて、主イエスは、今もあなたに目をとめて、信じるものに救いをなされるのであります。
2007/7/22 説教者 杉本守
ガリラヤ伝道の合間に主イエスは、異邦人の地ツロで休まれていました。そこに異邦人であるギリシャ人の一人の母親がイエスのもとに来たのでありました。この記事より神のあわれみを見ていきましょう。
Ⅰ 神の目に留められない私達
この女性の娘は、汚れた霊につかれていたのでありました。彼女は娘から汚れ た霊を追い出してくださるように主に願います。主イエスは、優先的目的の一つ として旧約を成就するために来られ、旧約に直接関するユダヤ人に福音をおもに 伝えていましたので、そのことを彼女に伝えます。主イエスは、異邦人伝道は 後日の弟子達にゆだねられていたのでした。
しかし、彼女は「主イエスの言葉はもっともである」と言うと同時に、神様の 恵みは溢れていて、異邦人にも及びますとへりくだりと信仰を表すのです。
Ⅱ 神の目に留めてくださる主イエス
主イエスは、彼女の信仰に応え、この異邦人である娘から汚れた霊を追い出す のです。本来ならば、この時点では枠の外のような異邦人でありますが、主のあ われみは溢れていて、異邦人であっても信仰による時に、主の御業を体験できた のでした。
私達も本来ならば、永遠の神、宇宙を御手に治める神様から見たら、あまりにも小さくて、目に留めていただけるような者ではありません。さらに何の功績もないばかりか、神に反することばかりしているものであります。けれども、神のあわれみは溢れているて、主イエスは、今もあなたに目をとめて、信じるものに救いをなされるのであります。
2007/7/22 説教者 杉本守
そりゃあ、最終的には、お母さんの願いを聞いてくれたけど・・
結果よければオーライって思えなかったな
さっさと助けてあげればいいじゃんって思ったし!
私って何様?・・結局、俺様タイプなんですね。
「目に留めてもらって当たり前」・・・っていう思いがあるんだな・・
謙虚にならないと聖書ってわかんないですね。
でも、謙虚になるって難しい~
けど、そこには「目に留めてもらってあたりまえ」という自分の真の姿と神のあわれみを忘れている自分がいるんですよねー。
書かれているように、「へりくだる者に恵みは溢れ、聖書は開かれ体験されていく」のですよねー。
コメント感謝!