人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

19日 松が丘いきいきハウス

2014-04-20 | 

 19日(土)10時30分からは松が丘いきいきハウスが実施された。松が丘コミュニティーセンターで。毎月一回ずつ実施されていたのですが、昨年末あたりから内外装の塗装工事その他により約半年近く使えない状態にあった。今回しばらくぶりに、コミセンでの行事であった。「松が丘いきいきハウス」社会福祉協議会のメンバーが中心になって進行。地区の老人が個々に集まってくる。社協のメンバーがお茶菓子を参加者に提供してくれて、多くは市内の、あるいは近隣の地域のグループまたは個人で、趣味でやっている特技などの披露をしていただく。そして参加者全員による誰でもが歌える昔の唱歌、童謡などを大きな声で歌う。お昼ごろには終わる。地区民のお年寄りの人たちは、私も含めて、皆さん、楽しみに、心待ちにしている。松が丘の婦人で詩吟を立派に披露してくださった方もあり、感激しました。
 今回は琴の演奏グループの方々3名(可児市在住)が協力してくださり、琴の音色をしっかりと聞かせてくれ、琴についての解説もしてくれた。最後は参加者全員で昔の童謡を精一杯声を張り上げて歌って終了した。琴の演奏グループの皆様には本当に感謝です。ありがとうございました。

 


懸崖に映える若葉

2014-04-20 | 

 今日は久しぶりに寒い曇り日、16時頃から雨。明日からも降るらしいが、「それも適量に」を願っている。「苧ヶ瀬池」方面への散歩の帰りに思ったことだが、数日の間に新芽が若葉に様変わりしている。絶壁の崖から垂れ下がった、木の枝の若葉も鮮やかだ。雨の少ない春だったが、しっかりと葉が開いている。明日も雨天のようだが、その雨も適量に願うところだ。山あり、川あり、池もあり、桜あり、そして古刹もある歴史の町だ。いい町に住まわせてもらっていると思う。年に一回~二回、名古屋(市内)まで行くことがあるが、グッタリ疲れる。地下鉄の階段が苦手。駅前の高層ビルも登ってみない。(その気にならない)老いとは、このような状態になるんだということを体感している。若い時から見慣れているが、家の前の道はゆるい勾配がある。八木山の麓近くに住む人たちも同世代の人が多い、入居時が同じだから当然だ。昼間の買い物はスーパーのバスを利用する人が多いのだが、そうでない人もいる。家の前の道を隔てた向かい側に数メートルの空きスペースがある。見ていると、夏、買い物をリュックに背負ってゆるい傾斜を上ってきて、そこで腰を降ろして休んでから歩き出す人も結構いる。八木山登山口近くの家に住んでいたら、若い時はいいが、老齢になれば身に応えて当たりまえ。子や孫たちは職場の近くに住み着いたら、普段は親元に帰ることはない。年数を経た住宅団地はどこも同じような条件だ。Skypeなどで、孫や家族たちと話すことが出来るとはいえ、同居とはまるで違う。結果、「どちらを見ても老人ばり」になりやすい。これも問題だ。
 こんなことを話しても、若い人たちは「なにをたわけたことを」というだけ。
 新年度、長女の方の孫(女)は大学を終え、社会人2年目。男の孫はが高専を終わり社会人に、いま研修の最中。自分で選んだ道だ。祖父母としての欲目、二人とも素直でいい子、有難い。長男の方は中3と小6だが頑張ってる様子。これも有難い。