人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

愛宕山

2014-04-15 | 

 雨が降らない。数日来、乾燥注意報が出されている。猫の額(わが家の空き地)には雑草だけは勢いよく伸びてくる。どこから水分をとるのかな。などと余計な推察をしている私だ。それでも自分なりに守ってやりたいと思ってる花、ユリ(カサブランカとコオニユリ?か、クルマユリ?)がある。意を決して昨日から水やりはじめた。愛宕山や八木山を眺めればどこも新芽は立派に成長している。愛宕山の山頂付近は岩盤の稜線だ。そんな岩盤に根っこを潜り込ませて生えているアカマツがある。夏の日照りは岩が暑くなる。水はない。幹の径が5~7cmほどのアカマツが何本か岩にへばりついたり、垂れがっている。この細いアカマツが発芽してからの年月を想い、そこを通るごとに感慨にふける。発芽した場所が悪かった。しかし、自然の摂理に従い、忍従の幾星霜。私は自分の中で勝手に名前を付けている。「愛宕山のど根性松」だ。ガンバレヨ、マケルナ。自然派人間としてはこれ以上のことはできない。小さい名札を作って付けてやろうかと思ったこともあるが、信念としてそれはできない。