いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

東京下町散歩(その8)

2013年05月16日 | 極楽日記(国内旅行)

 ここからは上野から出て、手塚治虫「陽だまりの樹」の舞台を訪ねます。まあ上野も重要な舞台ではありますね。手塚治虫オフィシャルサイト内の「虫ん坊」虫さんぽ第22回を参考にさせて頂きました。丸の内線を茗荷谷で降りて春日通に出ます。

 まずは松平播磨守の上屋敷があった播磨坂。今では広い中央分離帯の部分が桜並木として保存されています。

 春日通の小石川五丁目から播磨坂桜並木を下ります。もっと下ると東大の小石川植物園。今回は時間がないので割愛します。

 さっきの交差点から南東に向きを変えると、学芸大学附属竹早中高の角に。運動場と仮設の体育倉庫しかありませんが、ここが手塚家の診療所があったところ。

 もう少し南東に進んで学校のグラウンド沿いに右に曲がると、これが三百坂。けっこう狭いですね。

 コミックにあったように上ってみます。ここまで歩き疲れており、とても早駆けをする体力はありませんが。

 遅刻の罰金が三百文だったことが書いてあります。

 春日通に戻って、もう少し南東に進むと伝通院。山門が随分新しく見えるのは、東京大空襲で消失したのが、2012年に再建されたばかりだから。コミックに出てくる伝通院は、実際には分院の処静院(しょじょういん)で、もう少し三百坂に近いところにあったようです。伝通院とは、徳川家康の生母於大の方の出家後の法名。従ってここに墓地がありますが、「見るだけじゃなくてちゃんと線香買ってお参りしてね!」(意訳)と書いてありましたので遠慮することにしました。

 その処静院にあったと言われる石碑。この石碑の文句も私にとっては敷居が高い。「酒を飲む奴と旨い物食う奴は入れてやんねー!」(意訳)

 敷居の高い伝通院より面白そうに見えたのが、山門前にある日本指圧専門学校。創立者は有名な浪越徳治郎先生。

 暑くて歩くのもしんどいですが、何とか小石川後楽園にたどり着きました。向こうに見えるのはもちろん東京ドーム。

 元の持ち主だった水戸藩主は代々学者だったので、造園にも有職故実やらいろいろ薀蓄を含ませています。ここは歌枕である竜田川を模したもの。他にも日本全国や中国から学問に縁のある要素を拝借しています。

 光圀が息子の嫁を躾けるために作らせた田んぼだそうです。物わかりのいいテレビの水戸黄門と違って、現実のご老公は家人の生活面に極めて厳しかったようです。今なら舅の過干渉で即座に離婚でしょうね。

 「陽だまりの樹」で万二郎が心酔していた水戸学の権威、藤田東湖の碑。震災で崩れた家から母親を逃がすために、自分が屋根を受け止めて犠牲になったということです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京下町散歩(その7) | トップ | 東京下町散歩(その9) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

極楽日記(国内旅行)」カテゴリの最新記事