最近のちょっと嬉しかったニュースは、道議会議員やすむら啓二(保村啓二)さんが斜里町の町長選への出馬を決めたことだ。
ちょうど現町長の牛来さんの任期満了が迫っていて、牛来さんは再出馬はしないと宣言していたので、斜里町やもと開拓者の皆さんと、次は誰がなるんかね、とよくお喋りしている所だった。知床の旧開拓地は斜里町の一部だ。知床開拓の歴史は、歴代の斜里町長が次々に打ち出す方針に翻弄されてきた歴史でもある。取材を続けていて、前町長から今に至るまでこまごまとした裏話や、人々と町長との間の繋がりについていろんな人々の口から聞くにつけ、斜里町長という知床の歴史と切っても切れない重要な存在が今後どうなっていくのか、複雑な気持ちで見ていた。
という所へ先日、保村さんとばったり会ったら、「明日、出馬を表明します」と言う。よっしゃ、やった、という気持ちである。というより、保村さんは斜里町という北海道のすみっこの方よりも、もっと中央の方に出て行ってしまうんだろうなあと勝手に思っていたので、この土地にとどまってこの土地の政治家の長になるという話に、私は斜里町民でもなく選挙権も持っていないのに、思わず喜んだ。
初めて保村さんに会ったのは、もと開拓者の方々の敬老会だった。斜里町の防風林から外にはずれた、昭和40年からの団地に40年前から建っている小さなコンクリートの集会所前の草むらには、政治家の先生方の車がピカピカと駐車されていて、「知床が世界遺産に登録されたものだから、今頃になって、開拓者を尋ねてきて」と、ぶつぶつこぼす人もいた。私は敬老会での開拓者のじっちゃんばっちゃんの写真を写していた。議員さんは複数いたが、ダルマストーブや古ぼけたテーブルの周りに車座になって話し込んでいる皆の様子を見ていて、一発で保村さんが気に入った。というのは、保村さんが実によく、「人を見て」いたからだ。政治家が開拓者を見に?くる、というのではなく、一人一人のもと開拓者と正面から会話にはまりこんで、一つでも二つでも何かを汲み取ろうとする意識が感じられた。この人とは話ができる、と、私は端から自分勝手な品定めをした。
敬老会が終わってからもと開拓者の人たちにその話をすると、ああ、あの人は国鉄にいたからね、一緒に働いた人だからね、サークルも一緒だったからね、と笑って言う。でも私が「人を見ている」「話ができる」と感じたのは、もっと別のところにあるような気がした。
その後も保村さんと会うことが度々あり、道議会議員保村啓二の取り組みについての記事を読むこともあり、そして思ったのは、この人はあくまでも地域密着の、現場の人だ、ということだ。それも、まさに「人」に焦点をあてて現場を見ている人だった。
私は政治家には、中央にいて政治を管理しながら、時々地方の現場を「見に」来る人と、地方の現場にいながら、中央にその現実を持って行く人がいると思っている。保村さんは明かに後者の人だ。
そして、なんで自分が「気に入った」のか突然理解した。
病院で、患者を診ている病院や大学で、自分が突き当たる一番大きな壁は、いつも現場と管理者の大きなへだたりだ。現場には患者が生きている。生きて生活している。でも病院の経営は、患者が「生きている」こととはまったく関係のないところで、なんで?と思うようなやり方で進んでいく。この1年で有無を言わさず始まった厚生省の医療制度改革もそうだし、それに巻き込まれた病院経営側の苦労もよくわかるのだが、それでも、「こういう辛い時は、ファイト!ファイト!」と唱えてがんばるんです、とニコニコしている病院管理者の言葉を聞くたびに、ファイトと唱えなくていいから、1度でいいから現場に来て、詰所のその椅子に座って、現実に何が起っているのか見てみろよ、患者がどういう状態でベットに寝ていて、どんなふうに毎時間を生きていて、家族がどんなふうに付き添っていて、看護師がこの人数で実際にどのように動き、医師がどのように動き、介護士が実際にはどう動いて何をし、何ができ(できないで)いるのか見てみろよ、患者がどれだけ「生きて」いて、周りのスタッフがどれだけギリギリなのか1日でいいから、いや半日でいいから、いや、1時間、そこにじっと座って見ろよ、そうしたらもっと違うやり方が見えて来るだろうが、と胸の中で毒づいてしまうのだ。
自分は現場の側から離れられない。現場とは、現実に人が生きて生活している場所だ。その側から、いつも中央で管理してくる側に向かってばかやろーとふっかけている、現実を見ろよ、現実に生きている人を見ろよといつも思っている。夕張市に1時間だけ視察に来て、それじゃ足りないんじゃないですかという問いに対して、勉強して来ているんだから夕張のことはわかってる、と言い切った中央政治家の姿に、ばっかじゃねーのと毒づきたくなるのも、同じことだ。そういう自分のインスピレーションが、保村さんを目敏くマークしたのだった。
「保村さんねえ、町長選に落ちたら農家やるって言ってるよ。」なんて人が笑いながら話す噂話が、どこまで本気なんだか知らないが、私はやっぱり保村さんだなあと思って笑ってしまう。町長という政治家と、農家という地方地域の現場の最前線が、無意識のうちにも保村さんの中では見事に表裏一体になっているのだ。
現場の側で人を見る目と人を聞く耳を持つ人物が、政治家の肩書きを持ち、さらに町長になるかもしれない。
これはやっぱり、最近の嬉しいニュースなのである。
*******************
子供の時、医者と政治家にだけは絶対なるまいと思っていた。テレビニュースの汚職や事件のイメージが強烈だった。その自分は医者になり、今度は政治家の応援をして喜んだりなんかしている。
政治家も、医者も、汚職だの犯罪だのとヤリ玉にあげられるのは、それだけ人の現実の生活に深く根ざしているからこそ人の心やのっぴきならないお金がからんでくるのではないか。逆手にとって悪いことをする余地がある分、それだけ人の命や生活に深く関わって助けたり役に立ったりできる位置にいるのではないかと、今は思っている。
(2006.1.26)
ちょうど現町長の牛来さんの任期満了が迫っていて、牛来さんは再出馬はしないと宣言していたので、斜里町やもと開拓者の皆さんと、次は誰がなるんかね、とよくお喋りしている所だった。知床の旧開拓地は斜里町の一部だ。知床開拓の歴史は、歴代の斜里町長が次々に打ち出す方針に翻弄されてきた歴史でもある。取材を続けていて、前町長から今に至るまでこまごまとした裏話や、人々と町長との間の繋がりについていろんな人々の口から聞くにつけ、斜里町長という知床の歴史と切っても切れない重要な存在が今後どうなっていくのか、複雑な気持ちで見ていた。
という所へ先日、保村さんとばったり会ったら、「明日、出馬を表明します」と言う。よっしゃ、やった、という気持ちである。というより、保村さんは斜里町という北海道のすみっこの方よりも、もっと中央の方に出て行ってしまうんだろうなあと勝手に思っていたので、この土地にとどまってこの土地の政治家の長になるという話に、私は斜里町民でもなく選挙権も持っていないのに、思わず喜んだ。
初めて保村さんに会ったのは、もと開拓者の方々の敬老会だった。斜里町の防風林から外にはずれた、昭和40年からの団地に40年前から建っている小さなコンクリートの集会所前の草むらには、政治家の先生方の車がピカピカと駐車されていて、「知床が世界遺産に登録されたものだから、今頃になって、開拓者を尋ねてきて」と、ぶつぶつこぼす人もいた。私は敬老会での開拓者のじっちゃんばっちゃんの写真を写していた。議員さんは複数いたが、ダルマストーブや古ぼけたテーブルの周りに車座になって話し込んでいる皆の様子を見ていて、一発で保村さんが気に入った。というのは、保村さんが実によく、「人を見て」いたからだ。政治家が開拓者を見に?くる、というのではなく、一人一人のもと開拓者と正面から会話にはまりこんで、一つでも二つでも何かを汲み取ろうとする意識が感じられた。この人とは話ができる、と、私は端から自分勝手な品定めをした。
敬老会が終わってからもと開拓者の人たちにその話をすると、ああ、あの人は国鉄にいたからね、一緒に働いた人だからね、サークルも一緒だったからね、と笑って言う。でも私が「人を見ている」「話ができる」と感じたのは、もっと別のところにあるような気がした。
その後も保村さんと会うことが度々あり、道議会議員保村啓二の取り組みについての記事を読むこともあり、そして思ったのは、この人はあくまでも地域密着の、現場の人だ、ということだ。それも、まさに「人」に焦点をあてて現場を見ている人だった。
私は政治家には、中央にいて政治を管理しながら、時々地方の現場を「見に」来る人と、地方の現場にいながら、中央にその現実を持って行く人がいると思っている。保村さんは明かに後者の人だ。
そして、なんで自分が「気に入った」のか突然理解した。
病院で、患者を診ている病院や大学で、自分が突き当たる一番大きな壁は、いつも現場と管理者の大きなへだたりだ。現場には患者が生きている。生きて生活している。でも病院の経営は、患者が「生きている」こととはまったく関係のないところで、なんで?と思うようなやり方で進んでいく。この1年で有無を言わさず始まった厚生省の医療制度改革もそうだし、それに巻き込まれた病院経営側の苦労もよくわかるのだが、それでも、「こういう辛い時は、ファイト!ファイト!」と唱えてがんばるんです、とニコニコしている病院管理者の言葉を聞くたびに、ファイトと唱えなくていいから、1度でいいから現場に来て、詰所のその椅子に座って、現実に何が起っているのか見てみろよ、患者がどういう状態でベットに寝ていて、どんなふうに毎時間を生きていて、家族がどんなふうに付き添っていて、看護師がこの人数で実際にどのように動き、医師がどのように動き、介護士が実際にはどう動いて何をし、何ができ(できないで)いるのか見てみろよ、患者がどれだけ「生きて」いて、周りのスタッフがどれだけギリギリなのか1日でいいから、いや半日でいいから、いや、1時間、そこにじっと座って見ろよ、そうしたらもっと違うやり方が見えて来るだろうが、と胸の中で毒づいてしまうのだ。
自分は現場の側から離れられない。現場とは、現実に人が生きて生活している場所だ。その側から、いつも中央で管理してくる側に向かってばかやろーとふっかけている、現実を見ろよ、現実に生きている人を見ろよといつも思っている。夕張市に1時間だけ視察に来て、それじゃ足りないんじゃないですかという問いに対して、勉強して来ているんだから夕張のことはわかってる、と言い切った中央政治家の姿に、ばっかじゃねーのと毒づきたくなるのも、同じことだ。そういう自分のインスピレーションが、保村さんを目敏くマークしたのだった。
「保村さんねえ、町長選に落ちたら農家やるって言ってるよ。」なんて人が笑いながら話す噂話が、どこまで本気なんだか知らないが、私はやっぱり保村さんだなあと思って笑ってしまう。町長という政治家と、農家という地方地域の現場の最前線が、無意識のうちにも保村さんの中では見事に表裏一体になっているのだ。
現場の側で人を見る目と人を聞く耳を持つ人物が、政治家の肩書きを持ち、さらに町長になるかもしれない。
これはやっぱり、最近の嬉しいニュースなのである。
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子供の時、医者と政治家にだけは絶対なるまいと思っていた。テレビニュースの汚職や事件のイメージが強烈だった。その自分は医者になり、今度は政治家の応援をして喜んだりなんかしている。
政治家も、医者も、汚職だの犯罪だのとヤリ玉にあげられるのは、それだけ人の現実の生活に深く根ざしているからこそ人の心やのっぴきならないお金がからんでくるのではないか。逆手にとって悪いことをする余地がある分、それだけ人の命や生活に深く関わって助けたり役に立ったりできる位置にいるのではないかと、今は思っている。
(2006.1.26)