ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

夫婦別姓問題:自分の場合の一例です(姓がめんどうくさくて離婚しました)

2015-12-17 | ニュース
 夫婦別姓の裁判が話題になっているので、自分の場合どうだったかを書いておきます。

 結婚当時、自分は医者&研究者で海外論文を書いて出す立場でした。

 日本国内では改姓は特に不都合ないのでしょうが、海外(別姓が基本である国がほとんど)相手だと、苗字が変わるのが理解されない。

 苗字が違う→基本的に別人扱い→今まで研究発表してきた実績を引き継げない

 ってことで、戸籍は改姓して、ふだんは通称を使用。海外での学会発表や論文はミドルネームを導入(名前+旧姓+ダンナ姓)で対応。
 自分としては、べつに姓が変わろうが自分は自分だし、あんまりこだわっているつもりはなかった。

 ところが!!!
 私の周囲だけだったのかもしれないけれど、とにかく周囲がうるさかった!!!!

 引き続き旧姓を通称として使っていた職場では、周囲から

「いつまで意地を張っているんだ」
「ダンナさんがかわいそう」
「ウーマンリブはもう流行らない」etc, etc

 いやもうこっちがびっくりですよ!! 意地を張ってるつもりは全然ないんですが、苗字を変えないと、周囲からは意地を張っているように見えるらしい。ダンナをいじめているつもりもまったくなければ(ダンナも特にこだわっていなかった)、ウーマンリブって何じゃそりゃ。でも周囲はそうレッテルを貼ってくるわけです。

 あと困ったのは、患者さんを診る時。今まで通り「(旧姓)先生」で診ますよね。でも、カルテや処方箋、指示簿へのハンコは、本姓のハンコを押すわけで、これは確かに混乱した。

 というわけで、周囲は悪意的にウルサイし、なんだかもう面倒くさ~~~くなって、あまりのメンドウ臭さに、新婚3ヶ月で、

  「 離 婚 」しました!!!

 まあ、ペーパー離婚ですけどね、実際には結婚生活はそのまま変わらないですけどね。
 ダンナはどうだったか? ダンナはもともと、籍を入れるのにこだわってなくて、面倒くさいから籍も別々のままでいいんじゃない?と言っていたのを、私自身が(!)絶対籍を入れる!!と強硬に主張して籍を入れたので、籍を抜いた時は「ほーらーね!(だから籍入れな方がいいって言ったじゃん!)」と言われただけでした・・・・・。

 それで、またまた面白かったのが周囲の反応。
 ぴたっ!!!と何も言わなくなりました!!(・▽・)/

 一転して、
「そうだよね、今時は籍を入れない人も多いよね」
と、イマドキの人扱い!!(@@;;;

 なんじゃこの手のひらの返しようはー!!
(籍を入れないのは意地を張ってることにはならないし、ダンナさんがかわいそうじゃないし、ウーマンリブにはならない・・のか!?)

 郵便局や銀行でも、「そうだよねイマドキは・・・」でどんな手続きもスピーディ。それまで、「通称は(旧姓)ですが、本名は(本姓)で・・」とごちゃごちゃやっていた面倒くささが、ウソのようでした!!!

 しかし。
 義母が亡くなった時、いろいろな手続きを体験して、籍が入っていないと、現体制ではいろいろ面倒くさいことになると危機を感じたので、(その時はもう仕事上別姓である必要もなくなっていたので)籍を入れました。
 亡くなった人の通帳などを、残された配偶者や子供たちが手続きする時など、籍が入っていないと、配偶者である証明etcをするのがすごい大変なのです。(配偶者じゃないと、お金関係は勝手にどうこうできないので!)

 実際の手続き関係で大変なのは、子供のことよりも、配偶者が亡くなった時の問題かと思いました。子供はともあれ、配偶者同士はもともと他人同士であるわけで、それを家族だと「証明する書類」は、婚姻届しかないんですよね。

 なので、突き詰めると問題はここの所なのかなあと。証明する書類に改姓義務が付随しているので。個人的には、分けて考えればいいじゃんとか思うんですけどね(婚姻の手続きと、改姓の手続きと、書類を分ければ)

 まあとにかく、通称別姓にしていた時の、あのすさまじーーーーい、面倒クサさ!!!を思い出すにつけ、人それぞれでいいのになあとか思ってしまいます。

 子供にしたって、「ボクのパパは⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎で、ママはツガミネレイ!」って言うのも、ちょっとカッコイイと思うんだけどなー(笑)

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結月ゆかりオリジナル知床応援ソング「月日はめぐる」を紹介します

2015-06-15 | 知床
ニコニコ動画にアップされた歌ですが
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26259506
内容が素晴らしいので、コマ漫画風に紹介させていただきます。

(動画については前回のブログを参照してください)
かつて知床の開拓に生きた人々が歌に! 知床応援ソング「月日はめぐる」

とはいえ、ここでは私がかなり余計な説明をしてしまっていますので、
まずは実際の歌と演奏を上記の動画でご覧になってくださいね。


作詞・作曲・作画 Daddy's マスター


ボーカロイドの結月ゆかりが歌っています
(ボーカロイドとは:YAMAHA開発による歌のための人工音声。
歌ってくれる人を探さなくても、コンピューター打ち込みで
自作の楽曲を歌詞・歌声つきで披露できるようになりました)



おお、これは知床五湖方面から望む羅臼岳ですね


五湖への分岐のあるカーブのところ、
100平米運動の看板の立っている辺りからの眺め。
現在ではよくエゾシカもいて、羅臼連山(知床連山)がとても綺麗に見える辺りです


その羅臼岳に抱かれるように、ここには昭和40年代までSさんの開拓農家がありました。
Daddy'sマスターさんは単に想像ではなく、資料写真をもとに描いていらっしゃいます。


手前のだだっ広いところは、草原ではなくて、Sさんの畑でした。


そう、開拓者の皆さんが播いたのは、ただ食べるための種ではなく、
こころざしの種!




第2次大戦後の戦後開拓では、特に健康で若い夫婦や男手(男兄弟)の多い家族が選ばれて入植しました。
開拓者を選ぶ審査も厳しかったんですよ。誰でも開拓者になれたわけではありませんでした。


だから希望だけではなく、使命と覚悟も………


開拓者の皆さんも、新天地で記念写真を撮りました。
記念すべき、夫婦の一枚目。
後ろはもちろん、自分たちの手で建てた家。


これも実際の写真をもとに描いていらっしゃいます。
同じく開拓者だったというDaddy'sマスターさんのお祖父さんの写真ももとになっているかもしれません。


最初は水道なんて当然ないので、炊事もお風呂も谷底の川まで天秤棒担いで通います。
あっ奥さんが何か呼んでいますよ…!


(えっ赤ちゃんが……!?)


父ちゃんもう頑張っちゃう!!(笑)
開拓地での命の誕生です。


コエゾゼミの鳴く知床の短い夏


でも秋には頑張っただけの収穫が。


故郷には父母や親戚。
でももう帰らない覚悟で来ています。


知床の戦後開拓では、主に宮城県からの集団入植者と、
樺太からの引揚者、北海道内からの希望者が入植しました。


ウトロでは本当にこんな風に夕日が見えます!


農作業を終えた夜には、家族の団欒♪




歌の1番の終わりには夫婦二人+子犬だったのが、
歌の2番の終わりには、こんなに家族が増えてます!
Daddy'sマスターさんの作画展開にじわりときます。
子犬もこんなに立派になりました。




プラウで土をおこしてます。
(プラウは、昭和30年代頃に全国的に使われていた、馬に曳かせる鋤)
ちょうどこんなシーンの写真は、知床だけでなく、いろんな皆さんの地域にも残っているのではないでしょうか。


これは遊んでいるんじゃないですよ、畑や草刈り場に傘をパラソルのように立てて、
農作業の合間にお弁当を食べているんです。
本当に知床にこんな写真が残っています。
Daddy'sマスターさんの描く子供たちもどんどん成長していますね!


各家から岩尾別小中学校(現在の岩尾別YHのところ)へ。
知床の大地を、セーラー服の女の子が歩いて通っていたって、想像できます?(笑)
(実話です、念のため)


これも実話から描いて下さっています。
ストックなしで滑る練習したんですって!
スキー板はもちろん手作り。
スキーで学校に通い、2月にはスキー大会もありました。


開拓者はカラマツやゴヨウマツを材木として売るために植林もしていました。
その植林は今でも立派に残っています。






馬に木の根引かせてます!


自分たちの手で何でもやり遂げていく誇り


家族団欒の食事(よく思われているほど貧しくない)。
岩尾別小中学校の校庭で大人も子供も参加で行われた大運動会。
開拓地で育った2世の人々は「父母は開拓で苦労したと思うけれど、
子供は毎日楽しいことばかりだった」と語ります。


この絵がすごい。
最初(このページの6枚目)に描かれていた家がこんなに大きな家に!
おそらく別棟トイレだったのが棟続きになり、
風呂棟もくっついて、煙突も立派になりました。
そしてやっぱり絶え間なく煙が………
(実際にお風呂や家を拡張していったM家(知床横断道路沿い)の実話を知った上で描いてくださったのかと思うと、それもすごい)


そしてその、大きくなった家にはこんなに家族が増えていました!
月日がめぐる間に………!


決して裕福ではないかもしれないけれど、
希望と志に燃え、自分たちの手で生活を切り拓き、
大勢の家族で紡いでいく日々。
そんな知床の開拓地の暮らしが、
この4分半の短い歌に全部詰め込まれていて見事です。


画面はスーッとパンして、


結月ゆかりがその写真を持っている
(実は結月ゆかりがこの動画を見せていた)という心憎い演出。


 私がすごいすごい言っていたのがわかっていただけるでしょうか(^^;

 実はこの知床応援ソングは、5月末日に女満別空港ビルにてコンテストの発表があり、惜しくも「月日はめぐる」は入賞しませんでしたが、北海道内出身の審査員の方には特に好評だったそうです。それも私にはわかる気がしました。北海道出身の人は、知床でないにしろ、おじいちゃんおばあちゃんなど、身近に開拓者の人がいることが多いのです。そして、実際に開拓された土地に現在住んでいたりするわけで、そんな人々のかつての暮らしを、優しく温かく、かつ、誇りをもって描いているこの歌は、人々が自分のルーツを思う心に触れるものがあったと思うのです。

 もっと早くこのブログを書いて応援したかったのですが、今頃になってすみません。
 コンテストは終了しましたが、動画はいつでも見られる形で残っていますので、これからもささやかながら宣伝していきたいと思います。

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かつて知床の開拓に生きた人々が歌に! 知床応援ソング「月日はめぐる」

2015-05-16 | 知床
 素晴らしい歌と動画をご紹介。
 私、今日連絡を受けて、生まれて初めてニコニコ動画に登録してログインしましたよ。

知床応援ソング「月日はめぐる」(作詞・作曲・作画 Daddy's マスター)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26259506

 なんと、ほんの50年程前まで、知床の大地に夢を託し、村を作り上げ、暮らしていた開拓者の人々の思いや生き様が、まるまる歌になっている!

 知床開拓が取り上げられて歌にしてもらえた!というだけでも凄いのですが、感動したのは、開拓者の人々が知床にかけた夢とか、苦しい中にも喜びや楽しみを見いだしながら生活を築き上げていった様子とか、家族の喜びやあたたかい結びつきとか、私が知床開拓についてどうしても人に伝えたいと思ってきたことが(でも伝わらなくて、開拓と言えば否定的にとらえられて地団駄踏んできたことが)、4分半の歌の中にぎゅぎゅっと全部つまっているんですね。びっくりしました。すぐにもと開拓者の皆さんに見せたいと思いました。新婚の奥さんや生まれたばかりの子供たちを連れて開拓に入った1世の方々も、知床で育った2世の方々も、これを見たらものすごく喜んで、それで泣けてくると思います。
 3拍子を基調とした(なので知床旅情的な雰囲気もある)やさしいメロディーに、作者手描きのあたたかい絵が次々に展開されます。でも単にノスタルジーに流されるのではなく、開拓にかける覚悟や、誇りが表現されているんです。「生きた証 ここに朽ち果てようと 月日はめぐる」ですもの、すごいでしょう。

 私自身は、一時はなかったことにされそうにさえなっていた知床開拓が、こうやって取り上げていただける時代になったんだなあ、と、しみじみ泣けました。

 作詞・作曲、それに次々に流れる絵、すべて「Daddy's マスター」さん(実際にDaddy'sというお店のマスターさん)の作品で、結月ゆかりというボーカロイド(歌うことに特化したヤマハの合成音声)が歌っています。

 結月ゆかりは女満別空港の応援キャラクターなんですね。(そういえば新千歳空港も雪ミクがキャラクターのキャンペーンをやっていました) それで、知床の世界遺産登録10周年を記念して、結月ゆかりの歌う知床応援ソングを募集中で、その応募曲だそうです。

 直接作者の方がご連絡下さいました。
 本当ありがたいことです。

 ここを読んだ方はぜひ見に聴きに行って下さいね。ボーカロイドの人工音声に違和感を持つ方もいるかもしれませんが、やさしいメロディーなので、思うほど違和感ないですよ。


 しかし今日初めてニコニコ動画に登録して、どうやって御礼のコメントを書き込んでいいのかわからん……(笑)(なんか、へたに書き込むと動画の画面に表示されてしまう)

 もと開拓者の人にもどうやってニコニコ動画を見てもらおうか???
 いや、開拓者2世の方々はけっこうネットをガンガンやっているので、私よりニコニコに詳しいかもしれない………。


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「知床開拓スピリット」が電子書籍として再販開始されました!

2015-03-11 | 知床
↑これは紙の本。電子書籍だとどんな具合になったいるのかな。


 「知床開拓スピリット」(2007年12月発行、柏艫舎)が、昨年12月に電子書籍化されて再販されていました!

 著者が知らなかったというのもあれですが(^^; 自分でたまたま見つけました(汗)

 紙の媒体はすでに売り切れてしまっていたので、これで安心して人様に買って下さいとお勧めできます。

 「知床開拓スピリット」発売から7年経過しましたが、内容的にはまだ少しも古いものはなく、むしろ、初めて読んでいただく人には「そうだったのか!」と驚いていただける内容だと胸を張れますので、ぜひ一人でも多くの方に読んでいただければと願っております。

 本で取材させていただいたもと知床開拓者の皆様はすでにご高齢で、本の出版後2名の方が天寿を全うされましたが、その他の方々はまだまだお元気で日々頑張っておられます。

 世界自然遺産登録10周年を迎えた知床でしたが、やっぱり、「観光」をどうするかということの方ばかりに議論が行って、開拓の歴史についてはほとんど取り上げられることもなく過ぎてしまいました。

 知床自然センターから五湖までの間にまだ点々と残っている開拓の遺物も、人々が知床の大自然の中で日常生活を築き上げたという素晴らしい遺産ですので、このまま朽ちさせるのではなく、うまく活用されていくことを願っています。

 電子書籍は、ざっと検索した所では、(AmazonのKindle版はまだですが)、
楽天ブックス   (ジャンル:風景写真集)
学研電子書籍ストア(ジャンル:ノンフィクション)
honto電子書籍ストア(ジャンル:芸術・アート)
本よみうり堂    (ジャンル:ノンフィクション、写真・イラスト集)
・・・などで入手できるようです。

 ぜひどうぞよろしくお願いいたします。


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花園の御田舞 鬼走り

2015-02-24 | 民俗・信仰

 先週末は和歌山県かつらぎ町花園梁瀬(旧花園村)の御田舞を見学に行っていました。
謹賀新年 2015年/下花園神社の松明押し(たいまつおし)で書いたのを、実際に見に行ってきました。)

 「御田舞」は、日本各地に伝わる「修正会」「オコナイ」「オンダ」「田遊び」などと同じ、日本古来からある正月行事の一つで、新しい一年の五穀豊穣・国家安泰を祈るものです。地域によって、仏教の修正会の法要だけとか神道の稲を捧げる神事のみという宗教儀式だけの所から、歌、踊り、お芝居まで含んだ庶民の芸能になっている所もあります。昔は正月に1つ歳をとったので、この行事が成人儀礼を兼ねているところもあるなど、地域の数だけバリエーションがあると言えるほど多彩です。

 特にこのお正月は、延々祝詞が述べられるタイプの田遊びを見学に行って、ひたすらじっと聞いているうちに、無性に高野山麓の御田舞を見たくなったのでした。同じ新年行事の中でも、御田舞は特に歌・踊りという"芸能"の面で秀でたものではないかと思います。

 今回花園の御田舞は練習の時から見学させていただいたので、内容もかなり理解することができました。



 リズムもそうなんですが、歌の節回しの所々に跳ねるような歌の抑揚が繰り返されるのと、舞もじりじりと動く「静」と素早くくるりと動く「動」が繰り返されて、妙な推進力があります。練習の時も何度も、年配者から「速い速い!もっとゆっくり」とアドバイスの声がかかっていましたが、節回しが繰り返されるうちにどうしても速くなってしまうんですよね。気をつけなければどんどん速くなってしまうようなリズムと抑揚のある歌と舞なのでした。

 ちなみに上の写真は、稲束と鎌を持って舞う「田刈り」の場面。稲を刈っては高く掲げる所作を3節の間繰り返す……というのを、場の前・中・後の3回舞い(これで9節)、それを東西南北4方向行うので、実に36節の間屈伸運動を続けるわけで、演者はもう汗だくのくらくら、見るからに辛そう。
 でも、この舞が長ければ長いほどつまり「たくさん刈らねばならないほど実った」ことになるわけで、しつこいくらい長く舞う必要があるのだろうなあと思いました。
 


 実際に舞うのは20~30代の若者、舞い手(役者)を引退した40代以上の年配者は謡いにまわります。上記のように、舞うのも太鼓を叩き続けるのも凄まじい体力が要るので、若くないと無理と言っていました。でも、古老だけで何とか維持されている各地の行事が多い中、若者が多数参加してメインを張っている花園の御田舞は、それだけで豪華で頼もしく見え、集落の力も感じさせました。

 練習の時、年配者が「こう」って舞ってみせるじゃないですか、その動きというか所作がね、姿勢からしてもう、断然違う、惚れ惚れするんですよ。若い頃からずっと舞ってきたんだろうなあというのが一目瞭然。それが若い人たちに伝えられ、また若い舞い手(役者)たちが真剣に何度も所作を見てもらっている様子が頼もしかったです。



 ↑「鬼走り」の注連縄を切る場面の写真を載せているものが見つからなかったので(ありました、失礼しました)私も載せますね。
 すべての舞が終わった後、場の脇で見守っていた白しらげ(神主役)が場の結界である注連縄を切り、舞い手(役者)たちが堂の外に走り出して、御田舞が終了します。
 修正会の最後(結願)に行われる鬼走りが、ここではこんな形で残っているんですね。



 その後、松明を持った役者たちがお寺の斜面を駆け下り、再び駆け上がってすべてが終了するんですが…………、カメラマン、あんなにたくさんいたのに、誰もついてこないやんか!!(笑)(御田舞が始まる前に、斜面を駆け下り、駆け上りながら「矢」を放っていく場面でも、カメラマン他に誰も来なかったやんか!(笑)) 急斜面を全力疾走ですよ。(走っては振り向いてシャッター押し、また走っては…を斜面でやるので、本当に全力疾走しないと、追い抜かれてしまい撮れない)ええ歳だけどまだまだ走るねんよ(笑)

 ↑写真はあえて、ストロボを使わないで撮っています。



 ↑ストロボを使うとこう(それでも控えめですが)
 普通に使われる写真はこうですよね。



 ↑でも実際の肉眼での見え方はこうかなと。
 ストロボなんか使わない方が、凄みが伝わります。

 昔は御田舞も、夕刻から始まって夜半に終わっていました。今のようにスポットライトもストロボもない時代、蝋燭の灯りだけでお堂で舞われていた所を想像すると、神の前で稲作の所作を粛々と奉納していく意味が、なんとなくわかるような気がします。

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