ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

那智勝浦町の台風12号による土石流被害

2011-09-24 | 熊野
 
 美しい場所でしょう。和歌山県那智勝浦町の金山という集落の棚田です。県道が通っている所から、ちょっと北東に入ると、こんな綺麗な山里があるんです。県道から北東に・・と書きましたが、県道ができる前は、ここが「街道」でした。北東に向かうと、那智熊野大社に出るんです。昔は街道沿いにもっと家屋があったといいます。
 私が感動する熊野の山村の美しさは、昔から変わらず手をかけ続けている人がいるからこそです。上の写真でも、すでに田植えしなくなった棚田もきれいに草がかられ、植木が植えられています。人が住み続け、その気候の中で、その地形や植生の中で調和してきた美しさです。
 人が住み続けてきたからこそ、山村は美しい、その代表例だと思ってこの写真を撮りました。昨年の6月のことです。




 先日の9/15に同じ場所から写した写真です。
 台風12号の後、私は那智勝浦町にいました。

 ここで発生した土石流は、金山、西山、その下の集落を飲み込んで金山谷川を流れ下り、那智川まで達し、塞き止められた那智川は流路を変え、洪水となって井関の集落を襲いました。

 写真を並べると、土石流はただ押し流すのではなく、何メートル(何十メートル?)もの厚さで覆いかぶさるのだということがわかります。

 詳しくはまた改めて続きを。

 土石流の規模や位置は、Googleが提供している「台風12号災害情報」http://www.google.org/crisismap?crisis=japan_typhoonで詳しく見ることができます。

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ブログ断ちしていました

2011-09-24 | 雑記
 長いことブログを放置していてすみません。
 自分に課してブログ断ちしていました。

 いくつか白状すると、私は実は文章を書くのがものすごく遅いのです。遅い、というか、1つの文章を書き上げるまでに何十回も読み返しながら書き上げていくので、ちょっとした文章でもすごく時間がかかります。イメージとしては、作曲家が、何回も何回も頭から歌って演奏してみては、フレーズのつながりを確認しながら作っていくのに似ています。コメントへのお返事も1コ1時間くらいかかります。いや、そんなんじゃなくていいから、もっと気軽にさっさと〜〜と思うんですが、そうできないんですね。私がメールがものすごく苦手なのも同じ理由です(メールの返事をなかなか書かなくてすみません・・・)
(ついでに言えば、メールは、相手の顔が見られないし、表情や声のトーンで伝えられるはずのことを、言葉や行間や文章のつながりで表現していかなければならないからものすごく難しくて、うんうん唸りながら書くので、できれば避けたいです。私はメールより電話した方が早いし、電話するくらいなら直接行って顔を見せた方が早いです。電話の方が楽だろって突っ込まれても、私には直接会いに行って喋る方が楽なのです)

 こんなわけで、「ブログを書く集中力と時間があるくらいなら、原稿書け」と思って、ブログ断ちしていました。
 それでも、書きたいと思うことがらは徐々にたまっていくので、また少しづつ書くようにしたいと思います。

 コメントのお返事もなかなか書けなくて申し訳ないので、また以前のようにコメント機能を停止にしようかと考えています。

 それから、長いこと更新停止している本サイトの方を、プロバイダの関係で少しづつブログの方にお引っ越ししていこうと考えています。いずれ本サイトは停止します(内容はブログのページで全部見れるようにします)

 どうぞよろしくお願いいたします。


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日本の危機管理は片手落ち

2011-06-06 | 雑記
梅雨の風景は、写真家としては嫌いじゃないんですけどね。
(和歌山県旧本宮町武住にて)



 原発、原発、原発、なんでこうなってしまったのか、ニュースは毎日目白押しです。危機管理の甘さを指摘する声に、ひたすら「想定外でした」の言葉が飛び交っています。

 私、いつも不思議でならないことがあります。日本の危機管理を考えた時に、明らかに半分が欠如しているのです。
 日本ならではの考え方から来るものなのか? 日本だけじゃないのか??

 とにかく半分がスパッと抜けている。

 それは、危機の"前"は、「危機が起こらないように」あらゆる手を尽くすが、「危機が起こってしまった"後"」の手がザルのように抜けているということです。
 「危機が起こらなければ済む話だから」、起こらないように全力を尽くすが、起こった後のことは何も考えてない、そもそも全力を尽くしたのに「起こる」とは考えもしなかった(想定外)、という状態です。


 前にいた病院で、医師不足の問題に直面した時も、それを強く意識しました。(原発問題と一緒にするなと怒られそうですが、根っこは同じように思うので、書きます)

 「医者が足りなくなる」
 その問題に対して、「どうしたら医者が足りなくならないで済むか」については皆それなりにエネルギーをかける、が、「実際に足りなくなってしまった場合、町民の健康や生き死にをどうするか」について、本当に、見事なくらい、誰もエネルギーをかけない、考えもしないのです。

 医者がいなくなるという危機が迫っている状況で、私は何度も役場、町長、関係者に、「本当に医者がいなくなってしまった場合、入院患者はどうするのか(受け入れ先はあるのか)、通院患者を遠方の他病院に通わせる方策はとれるのか(町で通院バスなど手配できるのか)、普段もっと遠方からこの病院へ搬送されてくる救急患者がいるのに、それをさらに遠方の病院へ運ぶことについては対策があるか」等々、考えてくれー考えてくれー早急に、と言い続けましたが、先方の言い分はこうです。

「医者がいなくならなければ済む話だから」

 だから、医師招聘に全力を上げているからそれでいいじゃないか、医者がいなくならないようにするんだから、医者がいなくなった時の対策はいらない、というわけです。
 で、同様に、「だから、あなたも辞めないで働き続けてよ、医者がガマンすれば解決する話でしょう」と。

 働き続ける気満々の医者でも、何が起こるか本人にもわからないですよ。常勤医がたった一人しかいない状態になっても、「医者は病気にならない、ぶっ倒れない、事故にもあわない、常にいて診療する」のが前提で、万一の場合を誰も考えようとしない、医者以外の誰もその問題に関わろうとしないのです。
 だから、私は「これでは危機管理が足りない」と言い続けましたが、「あなたの言ってる危機管理ってどういうこと?」と聞かれるばかりで(実際に聞かれた)、誰も理解してくれる人はいませんでした。(それでもずいぶん説明したのだけれど)


 原発のニュースを見ていても、同じことを感じます。
 原発関連の人たちが、事故が起こらないように、起こらないように、エネルギーを注ぎ続けてきた様子は確かに伝わってきています。が、事故が起こってしまった後のことについては、ことごとく「想定外でした」と。

 事故が起こらないように全身全霊を尽くす、のは、あくまで危機管理の半分です。
 事故が起こってしまった「後」についても、即、対応して動けるようにしておくことが、危機管理のもう半分だと、その両方があって初めて完成するのだと、私は思いますが。

 「事故さえ起こらなければ済む話だから」とか、「そういう事故はあってはならない(だから起こらない)」とかいうのは日本ならではの風潮なんですか? とにもかくにも、それはもうやめてほしいと思う次第です。

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補足です

2011-05-30 | 心理

 先ほどの自分のブログ内容では、言葉が足りなかったと感じたので、もう少し補足を。

 ヒ素カレー事件の掲示板で感じたのは、たとえみんなが◎と思っていなくても、腹の立つイヤな書き込みが◎を否定すると、その書き方に対する反発や怒りから、◎を擁護したり、◎否定への反論をしてしまう、結果的に掲示板の世論が◎に傾く、ということでした。

 同様に、「原発に反対したら干された」という"汚いやり方"に反応して怒るのはまっとうなことだけれど、だから原発反対を応援する、原発は悪であるという方向にすり替えてしまうのは、注意が要ると思ったのでした。
(まあ、何度も言うように私は原発反対ですが。)

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山本太郎さん事件と、ネットでの意識操作

2011-05-30 | 心理

 まだ、和歌山ヒ素カレー事件があった頃の話です。
 当時、インターネット上のニュースページの掲示板(どのニュースサイトだったかはもう忘れましたが、2channelではありません)で、ヒ素について議論が荒れていました。医療関係者である私も書き込みを試みました。が、すぐに気づいてしまいました。
 声高に「◎だ!」と繰り返し書き込むよりも、たった1回、できるだけ汚い口調で◎を否定する書き込みをした方が、掲示板の世論を◎に誘導できるのです。
 自分が◎だと思っていても、◎を否定する書き込みをする。それも適度に破綻している方がいい(説得力があって読者が納得してしまっても困る)、読者が思わず一言書き込まずにはいられなくなるような、怒りを誘発するような、イヤな書き方がよい。今で言う「釣り」のようなあからさまなやり方ではなく、あくまで真面目な発言の一つというフリで、うまくやるのです。うまくやれば、正面きって正当に論じるよりもはるかに多くの、自分が意図する世論を引き起こすことができる。
 私はすっかり馬鹿らしくなり、それっきり掲示板というものに書き込みしなくなりました。
 ずいぶん昔のことですね。
 でも、最近、妙にこのことを思い出すことがありました。俳優の山本太郎さんが「原発に反対したので仕事を干された」と言った、というニュースです。

 前置きですが、私は正直、真偽のほどは知りません。この方の人柄も、事の成り行きも、裏の話もよく知りません。この方が、実際に福島や東京で、どのような活動をされてきたかも知りません。実際の現地での彼の姿を知っている人には、「何も知らないのに勝手なことを言うな!」と怒られてしまうのだろうと思いますが、あくまで、報道された部分についての個人的な感想です。

 「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」

 私が読んだのはこのツイッターの文章だけです(5/27のYahooニュースで読みました)
 多くの人は、テレビ局ひどい!とか、原発反対してる山本太郎えらい!とか、反対派を押し込める原発なんて、やっぱり反対!となったでしょうか?
 私の正直な感想は、"違和感"でした。
「うまくできすぎている。変だ」

1)降板は本当に原発に反対したせい?
 「原発に反対したから」という理由で俳優を降ろすようなあからさまな行動をすれば、どれだけの反発(というより、攻撃)が来るか、誰が考えても明らかでしょう? 東電や原発関係者にとっては、最も避けたい状況のはずです。テレビ局も馬鹿ではありません。そんな明らかな「理由」をつけて降板させるでしょうか? たとえ他に降板理由があったとしても、「原発運動に関わったせいでやられた、ひどい」と先に言ってしまえば、(特に今この社会状況では)皆が信じるのではないですかね。

2)・・・テレビドラマについて一生懸命だったのはマネージャーさんの方ですか?
 たぶん1)だけだったら、私もなんとなく「テレビ局ってあからさまなことするのね、ひどーい、原発反対がんばれ」という普通の感想で終わっていたと思います。が、違和感が2つ重なると、さすがに意識に上ってくるようです。
 1)がその通りだとしましょう。原発運動という、自分では正しいと信じることをやったのに仕事を干された。自分の信念は貫いたが、本来の仕事を貫くことができない。そうしたら、降ろした者への怒りとともに、「個人」と「仕事(俳優)」の間に大きな葛藤が生じませんか? が、彼はその怒りも葛藤もすっとばして、マネージャーさんへのねぎらい? 他人の心配? ドラマ干されてがっかりしてるのはマネージャーさんの方なんですか? 一見、自分は差し置きマネージャーを心配する良い人にも見えるが、その妙に「良い人」なのが、私には違和感なのです。それで、「なんか変だ。なんか、うまくできすぎている」と。

 実際にはテレビ局が、本当にあからさまに言論弾圧やったのかもしれないし、山本太郎さんの原発運動は素晴らしいものかもしれない。
 でも、真偽がどうであれ、このツイッターは日本中の目を一挙に、山本太郎さん&福島の原発運動に向けさせたことは事実です。
 そして、「原発反対してる山本太郎さんは偉い!」「反原発やってる人ガンバレ!」「弾圧なんかやる原発推進派は悪!」という世論を(たとえ一過性だとしても)ぶわァッと燃え上がらせたのも事実。
 素直な人たちは、何も考えずに無意識に「反原発」に傾くでしょう。今回のことで、原発を嫌う世論も無意識に増幅したと思われます。

 真偽はともあれ、「原発運動のせいで降板させられた」と言ってしまったもん勝ち。
 それでもめげずにマネージャーさんを心配するけなげな姿を見せてしまったもん勝ち。

 それが最大の原発反対運動になるわけです。
 そして実際に、予測された通りの大成功だったんじゃないでしょうか。

 だからやっぱり「うまくできすぎている」と、私は思うんですけどね。


PS 念のため、私は原発反対です。理由は細かくたくさんあるので今は一々書きませんが。
 何てったって、まだ電気もなかった昭和30年代以前の山村生活に魅せられて、「現代人が学ぶことがいっぱいある!」と、取材に通い詰めている人間であります。
 電気はなくても、知恵はたくさんあったよ。
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