てんやわんやとは、つまり戦後の混乱期です。当時の出口のない混乱ぶりや葛藤をよく表しているということで流行語になり、漫才コンビの名前にも使われました。昭和40年代には「獅子てんや・瀬戸わんや」は毎日のようにテレビで見ましたので、小説のことは知りませんでしたが「てんやわんや」の言葉は鮮明に覚えています。
戦後の混乱期に浮き沈みしながら生き方を模索する姿を描いた、ということでは先日読んだ大佛次郎「帰郷」「風船」と共通していますが、大佛次郎の描く登場人物がどこかニヒルでヒロイックな側面を持っているのに対して、「てんやわんや」の犬丸順吉は名前の通り付和雷同型で「ゴムみたいな心」の持ち主であり、強い者には靡き、脅しにはぐらつき、将来に不安を感じながらも地に足の着いたことができず、一度は心酔した主義主張や友人に殉じることもせず、犠牲は払いたくないが、何とか自分だけがうまく世間を渡って行けないものかと願う、どうしようもない小者として描かれています。こんな人種を当時は「敗戦ボケ」とか言ったんでしょうか。
脇役としては、政治に色気のあるがめつい実業家の「社長」や、「風と共に去りぬ」のアシュレーのように、時代に抗う術も知らず没落していく気前のいい相生長者と、その周りに集う「東京とは一癖違うなどというものじゃない」田舎文化人衆、そして山奥の桃源郷に代々暮らす平家の末裔たち。敗戦の混乱だけでもてんやわんやと思ったら、東京と相生の食糧事情や気質の違いにてんやわんや、そして東京に残してきた「社長」と、やり手の秘書「花兵」の利己的な行動にてんやわんや、山の集落の奇習と美しい娘あやめにてんやわんやで、これでどう終わるつもりかと気を揉んでいると、最後は文字通りの大混乱、てんやわんやで幕を閉じます。戯曲の業績が多い著者らしくドタバタ芝居的なところがあって、読者が共感したのでしょう。作者の小説では代表作とされています。