見えにくいけど、これはもっと大きいシャコ貝。昔の子供用の読み物では、シャコ貝に挟まれてダイバーが窮地に陥るシーンは定番でした。実際に二枚貝の挟む力は筋肉(つまり貝柱ですね)の断面積の割に極めて強いため、うかつに手を出すと非常に危険だそうです。二枚貝の筋肉の収縮機構は人間のような脊椎動物の骨格筋とはかなり違っており、収縮状態を保持する一種のクラッチ機構があるため、少ないエネルギーで強力な収縮状態を持続できるのだと言われていました。近年、詳しい機構が明らかになったようなので参照させて頂きます。この山田先生は経歴を見ると私と大学の同期(57SII)になるのかな。いい仕事ですね。
日本は第一次世界大戦でパラオを領有していたドイツを追い、太平洋戦争で敗北するまで南洋庁を置いてパラオを統治していました。大きな港のあるマラカル島は複雑な形をしており、行政および経済の中心である隣のコロール島の行き来が不便だったため、マラカル島の狭い部分をくり抜いて水路を作ってしまったのがこの新水道です。その後マラカル島とコロール島の間に橋が掛かったため重要度が低下しましたが、遊覧船には今でも便利に使われています。
これも南洋庁の仕事で、島に通し番号を付けて管理しました。島名が彫られていないのは面倒だったからかな。一番簡単に彫れるローマ数字を使ったようです。
極楽息子(大)は船長の横に乗せてもらいました。
浸食を受けたこんなキノコみたいな小島がいっぱい。
魚影の濃いところですから、少し餌を撒くとすぐに魚が寄ってきます。パラオの人たちは魚を常食しますが、種類には興味がないので名前にはこだわらないそうです。コロールの魚屋に行くと、クーラーボックスの中に各種の魚がごちゃ混ぜに置いてあって、それを掛け目で買うのがパラオ流とのこと。それでも漁業が廃絶したサイパンやグアムに比べると食生活は豊かです。
極楽息子(小)にカメラを持たせておいたらこんなのが撮れてました。なるほど、息子の目から親父はこんな感じで見えるんですね。
さてホテルに帰って来ました。
お昼にしますよ。
パラオでは七味がなぜかナナミ。