崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「日帝強占期」

2014年08月16日 04時09分16秒 | 旅行
昨日は終戦記念日、日韓において相反する記念式が行われた。日本では戦没者追悼式、韓国では解放(光復)記念式であった。日本では韓国の大統領の演説の中に「慰安婦」が、韓国では総理の靖国神社参拝が注目された。日韓関係の狭間に生きる「在日」は両側、あるいは片方に参加する、あるいはしない。数日前この地域では8月10日に民団で記念式をすましたと後から知った。少数の集まりの親睦団体化されていくようである。以前の団長からは私も招かれて参列したが、今は隠れた集いのように感ずる。それは在日の歴史も長くなった自然現象であり、何より国際化現象によるものと言える。本欄に西原氏がこのような日韓関係の悪いとき韓国訪問をしたが、その悪さは感じなかったという。それは多くの人が関係悪化より良き関係を望むということである。日韓の政府と政権とは民衆によって成り立つにも関わらず民衆の民意を反映できないのはなぜだろう。今までは政府が民意を作り統制してきたが、これからは民意が政府を作ることが必要である。日韓の民主主義の歴史は戦後史に限るものであり、まだ浅い。したがってまだ政府やメディアによって民意が作られているから日韓関係が悪くなっている。
 韓国では日本植民地という言葉だけでアレルギー反応をしていた。韓国民族大百科事典によれば日本の植民地はもっとも残酷な民族抹殺政策と収奪政策の悪、「絶対悪」という。35年弱であるが、36年と言ってきた。それを強調するために英国イギリス型植民地と比較する。イギリスは「間接支配」を原則とし、先住民を雇いながらある程度の高等教育を行い、民族保存運動や民族文化運動については、概ね傍観したという。フランス型は「直接支配」を原則とし、民族文化運動については教育を通じて制御した。オランダ型は先住民を保存したという。日本は韓国に対するいわゆる「同化政策」という名の下に韓国の民族抹殺政策を強行し、近代化を阻止し、虐殺と略奪をし、最終的には南北分断にいたったとある。この事典には私も多くの項目を執筆したが上述の内容は日本植民地を考える研究者の意見であろう。
 しかし 36年を35年にしたのは大進歩である。ただ「日帝植民地」を「日帝強占期」にしたのは気になる。日本は植民地(内地と外地)と占領地を広く持っていた。韓国は植民地であったのに占領地という意味になる。占領地と植民地は区別すべきなのに韓国を占領地と混同するような新造語はまずい。言葉のアレルギーにより日本語からの外来語を避けるのもおかしいが、定義された言葉「植民地」「従軍」「挺身隊」などの言葉を替えることは許されない。稚拙なことである。