崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

映画鑑賞

2014年08月12日 06時07分48秒 | 旅行
 中国から留学相談に来た人と長く話をした。彼はすでに日本で6年以上住んで多くの研究業績を持っている中国の有名な大学の教員である。また一方では日本と中国でラジオ放送のパーソナリティもしている人である。流暢な日本語だと話し方から十分感ずる。ラジオの話は映像に繋がり、私の習性の発動のように研究会のようになった。中国東北から来られた方に満洲映画協会の研究を紹介するように彼にも話をした。彼の反応は早かった。戦前満洲国が残した映像資料を見せながらその最近の研究史を語り、講義のようになった。初対面ではあるが、相手のことも考慮せず夢中になってしまった。もう一人の研究者もしばらく滞在することで中国研究へ傾くようになりそうである。しかし私が中国語ができず困っている。、遅すぎたが今からでも中国語を学び始めようか。
 テノール歌手のべジェチョル氏を映画化した映画の試写会に招待されて、待合室では多くの知り合い、面識のある人とあいさつをして回った。西洋社会の劇場をめぐる社交文化が下関で実現されるように嬉しく思った。ペ氏を含め100人ほどで鑑賞した。韓国人歌手が成功に向って演技活動中、がんのため声帯を失い、手術をして再生するまで日本人音楽プロデューサーと妻の協力、努力、神から授かったタレントを復元して舞台に戻り、アメージングレースの讃美歌を歌い、クライマックス、泣かされる場面で終わった。静粛の数十秒、そしてエンディングになる。ストリーや劇的場面もない映画でありながら人に大きく感動を与える力はどこにあるだろう。大型スクリーンと音響、歌と映像構成の力であろう。建物の壁前面の大型スクリーンを近い距離で鑑賞するには映像の迫力に圧倒されて静かに距離をおいて鑑賞することとは異なった。大波にすい込まれて泳ぎ回るのような鑑賞であり、自己意識がなくなる、いわばトランス状態や神懸かりのような状況になっていたと後から分かるような感じであった。映画館が新しくなったが、それより鑑賞方法も新しくなったように感じた。