崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

恥ずかしい歴史を共有し、理解し合う

2014年08月28日 04時53分41秒 | 旅行
 ホテルへ迎えに来てくれた車で出版社へ、『朝鮮の巫覡』訳書の校正作業を行った。担当の編集者と共訳者の朴氏、社長らと議論した。日本式の外来語の表記の基準、たとえば現地音表記主義の問題点、韓国語の綴りと日本人の名前の発音表記の不一致など、「日帝植民地」を「強制占領」という韓国の反日思想の排除などが話題になった。退院したばかりの会長洪起元氏らとの昼食は伝統的な牛内蔵湯であった。もちろん美味しくいただいた。
 ソウルの北方のヘイリのキャプセルミュウジアムに二度目の訪問、運転はもちろん洪鐘和社長。呉埰鉉館長が迎えてくれた。館長は用意した資料の他に日本植民地時代の資料を見せてくれた。啓明大学の教え子の朴さんが経営している羅麺屋を訪れ、彼女が作ってくれた揚げ物とお茶を飲みながら一行が楽しく歓談した。私が憶えていないことや思い出すなど古い話をしてくれた。私の髪の毛が白くなったのが異様に感ずるようであった。懐かしい話を切り、急いでソウルのホテルへ向かった。
 景福高校の同窓生たちと夕食会があるからであった。10年~20年ぶりにあう友人を含めて5人がプレジデントホテルのルームに集まった。私を太ったという。近いところに予約した伝統的な食堂の「湧金堂」で今まで話すことのない高校時代の私への追憶談、私が記憶していない話が多かった。彼らは私の留学生時代の苦労話を聞きたいと言う。例のようにアルバイトの話、彼らが順に語った近況報告の話は経歴豊富、歯科医、病院長、臨床心理教授、有名言論人であり、まだ現職にいる人が3人である。そして後半は性に関する冗談であり、私は抵抗感を感じた。日本で30年住んで一度も聞いたことのない濃い話で戸惑った。70年代半ばの後期高齢者たちの女性への関心は私にとっては別世界であった。
 過去の話の中には恥ずかしいと思う部分も多くあり、それを共有して理解し、友人として懐かしく思うのはなぜであろうか。過去を知っている人は避ける場合もあるが、それを他人のものと思わず共有することで理解し合うのが本当の友人、愛情と言える。夫婦も短所を共有することが本当の「結び婚」の「結婚生活」であろう。大げさに言うと国家も恥ずかしい歴史を共有し、理解し合うことが必要であろう。

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